春のうららの隅田川で始まる歌のタイトルと歌詞の意味を教えて!

春のうららの隅田川で始まる歌のタイトルと歌詞の意味を教えて!

春のうららの隅田川で始まる歌のタイトルは?

歌詞はどんな意味?

歌の言葉を現代語に訳すとどうなる?

その疑問、解消します!

1番から3番までの歌詞と使われている言葉の意味、

古い表現のニュアンス、

船人の異なる解釈も含めて、

わかりやすくお伝えします。

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春のうららの隅田川で始まる歌のタイトルは?

春めいてくると、

♪ 春のうららの隅田川~

この歌を思い浮かべる人も多いんじゃないでしょうか。

音楽の授業でも登場する、よく知られた有名な唱歌です。

ですが、この歌のタイトル、

意外に知られていないんですよね。

3択クイズで出しても正解の回答率が低いんです。

では、問題です。

「♪ 春のうららの隅田川~」で始まる歌のタイトルは?

1.『春』

2.『花』

3.『隅田川』
  ↓
  ↓
  ↓
  ↓
  ↓
答えは2番の『』。

出だしの歌詞にインパクトがあるせいか、

この歌のタイトルを『春』や『 隅田川』だと勘違いしている人が結構多いんです。

出だしそのまま、『春のうらら』だと思っている人も。

『花』は、日本の音楽家、作曲家の瀧 廉太郎(たきれんたろう:滝 廉太郎)が作曲した歌曲集『四季』の第1曲で、

作詞は、日本女子大学教授で歌人の武島 羽衣(たけしま はごろも)です。

作詞:瀧 廉太郎
作曲:武島 羽衣

春のうららの 隅田川
のぼりくだりの 船人が
櫂(かい)のしづくも 花と散る
ながめを何に たとふべき

見ずやあけぼの 露(つゆ)浴びて
われにもの言ふ 桜木(さくらぎ)を
見ずや夕ぐれ 手をのべて
われさしまねく 青柳(あおやぎ)を

錦おりなす 長堤(ちょうてい)に
暮るればのぼる おぼろ月
げに一刻も 千金の
ながめを何に たとふべき

 

歌詞に出てくる隅田川がある東京都墨田区では、

この『花』を「区民の愛唱歌」に指定しており、

隅田公園の台東区側には『花』の歌碑があります。

また、毎年2月に両国国技館で行われる「国技館5000人の第九コンサート」では、

隅田川が公演会場となっている国技館の近くを流れていることから、

イベントのエンディング曲として毎年歌われています。

わたしも隅田川の近くをよく通りますが、

隅田川を見ると、自然に『花』を口ずさんだり、脳内再生されたりします^^

ですが、歌詞自体が昔の言葉でわかりにくいところもありますよね。

『花』は現代語で訳すと、より歌の風景が見えてきます。

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春のうららの隅田川で始まる『花』の 歌詞の意味は?

『花』が歌曲集『四季』の第1曲として刊行されたのは1900年(明治33年)。

明治時代に作られた『花』は、当時の日本の風景を切り取ったもので、

とても絵画的な詞で、意味がわかると、短編映画のように映像が浮かんできます。

『花』を今の言葉、現代語に訳してお伝えしますね。

春、晴れ渡って穏やかな日差しが注ぐのどかな日の隅田川

川をのぼったりくだったりする船の船頭たちの

手にしている櫂(かい:水をかいて舟を進める道具)のしずくまでが 花びらのように飛び散っている

このすばらしい眺めを、何にたとえることができるだろうか
(いや、何にもたとえられないほど美しい)
 

あなたはまだ見てないの?(いや、見てごらんなさいよ)

明け方に朝露を浴びて

語りかけてくるような桜の木を

あなたはまだ見てないの?(いや、見てごらんなさいよ)

夕暮れの頃 手を伸ばして

招いてくるような 青々とした柳の木を
 

美しい錦織りのように花が咲き乱れる長い堤防に

日が暮れれば昇ってくる ほのかに霞んで見える春の夜の月

実に、ほんとうに一瞬も千金にあたるような

このすばらしい眺めを、何にたとえることができるだろうか
(いや、何にもたとえられないほど美しい)

『花』の歌詞に使われている言葉で、

わかりにくいと思われるものの意味をひとつずつ解説しますね。

1番の歌詞の意味

春のうららの 隅田川

のぼりくだりの 船人が

櫂(かい)のしづくも 花と散る

ながめを何に たとふべき

 

春のうららの「うらら」とは、空が晴れていて、陽射しが穏やかに照らしている様子です。

「うららかな日」という言い方がありますが、それと同じ意味です。

空が晴れ渡って、陽射しが柔らかく注いで、のどかな感じ

「隅田川」は、東京都が管理する全長約23.5キロの一級河川で、

流域人口は300万人に達するともいわれる世界に類を見ない都市河川です。

明治の頃の隅田川は、きれいに澄んだ水質だったと言われています。

「船人」は、船頭や船をこぐ人。

「櫂(かい)」は、船を漕ぐ木の道具のことです。

棒の一端を幅広く平らに削ったもので、

ボートでいうオールです。

「花と散る」は、花のように散る・花びらのように散る。

「何にたとふべき」は、何にたとえたらいいだろうか(たとえられない)といったニュアンスです。

2番の歌詞の意味

見ずやあけぼの 露(つゆ)浴びて

われにもの言ふ 桜木(さくらぎ)を

見ずや夕ぐれ 手をのべて

われさしまねく 青柳(あおやぎ)を

 

「見ずや」は、反語です。

「(これを)見ないのですか?いや見るでしょう」

「(これを)見ないでいられようか」

といった意味で、

「ごらんなさい」

とか、

「見よ」

「見なくてはいけませんよ」

というニュアンスで使われています。

「あけぼの」は夜明け、明け方。

「露(つゆ)」は朝露(あさつゆ)。

「われ」は、わたし。

「ものいう」は、話す、言う、語りかける。

「桜木」は、桜の木。

「手をのべて」は、手をのばして。

「さしまねく」は、招く。

さしまねくの「さし」は、語調を整えたり強めたりする接頭語で意味はありません。

青柳(あおやぎ)は、青々とした柳の木です。

3番の歌詞の意味

錦おりなす 長堤(ちょうてい)に

暮るればのぼる おぼろ月

げに一刻も 千金の

ながめを何に たとふべき

 

「錦おりなす」は、美しく織られた錦のように。

色とりどりのきれいな花に彩られたたとえです。

「長堤」は、川の長い堤防・土手。

「暮るればのぼる」は、日が暮れれば昇ってくるの意。

「おぼろ月」は、春の季語です。

もやで霞んで見える春頃の月のこと。

「げに」は、まちがいなく、本当に、いかにも。

「一刻も千金の」は、中国北宋時代の詩人・蘇軾(そしょく)の詩『春夜』の一節に由来しており、

ほんのわずかな時間でも千金に値する価値がある

という意味です。

春のうららの隅田川で始まる歌のタイトルと歌詞の意味を教えて! まとめ

春のうららの隅田川で始まる歌のタイトルは『 花』。

『花』は、瀧 廉太郎(たきれんたろう:滝 廉太郎)作曲の歌曲集『四季』の第1曲で、

作詞は武島 羽衣(たけしま はごろも)です。

1900年(明治33年)に発表されたとはいえ、

反語が使われていたり、文体はまるで古文のようで、

ちょっとムズカシイところもありますね。

「のぼりくだりの 船人が

櫂(かい)のしづくも 花と散る」

の「櫂」をオールとして、

船人の船はオールを用いる西洋的なボートで、

当時の早慶レガッタの光景だと解釈する考え方もあります。

そうなると、日本の情緒的な春の風景とは全く異なるものになりますが、

それはそれで掛け声も聞こえてきそうで、おもしろいなぁと思っています。

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