立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花の意味とは?使い方もご紹介

『立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花』とはどんな意味?

なぜ、「芍薬」と「牡丹」と「百合」なの?

その疑問、解消します!

ことわざの由来、

それぞれの花の特徴、

美人を指す以外のもともとの意味、

使い方の注意点も含めて、

わかりやすくお伝えします。

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立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花の意味とは?

初夏の代表花と言えば芍薬(シャクヤク)。

4月頃から花屋さんの店頭には華やかな芍薬が並びます。

女性の美しい容姿や、

その立ち振る舞いを形容することわざに

立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花

というものがあります。

読み方は、

『たてばしゃくやくすわればぼたんあるくすがたはゆりのはな」

なかなか古めかしい言い方ですが、

昔からこの言葉をもじったパロディは多く見られ、

よく大喜利にも使われてきました。

また、ネット上でも、

残念な美人を揶揄するときにパロられたり、

「立てば~」以降をパロったりするので、

本来の言葉の意味を知っておくと、

何かとこの先便利な言葉だと思います。

立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花の意味とは?

『立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花』は、

芍薬も牡丹も共に美しい花で、

百合は清楚な花であることから、

美人の姿や振る舞いを花に見立てて形容する言葉です。

美しい女性のこと

女性の美しさを表現する言葉

として用いられます。

一般的には、主に美しい女性を形容する言葉として使われています

『立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花』は、

今の『美人』の評価には適さない表現かもですが、

この言葉が生まれた江戸の時代では、

容姿を花にたとえた『立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花』は、

「洒落がきいている(=粋)」

ということで、

粋なものが大好きな江戸っ子に広まりました。

芍薬と牡丹と百合の花が選ばれた理由とは?

「立ち姿は芍薬のように美しく、

座る姿は牡丹のように美しく、

歩く姿は百合のように美しい」

『立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花』は、

美しい女性や、

女性の美しさを表現するときに使われる言葉です。

美しさを表す「芍薬」と「牡丹」と「百合」

数ある美しい花の中から、

なぜこれらの花が選ばれたのか、

それにはちゃんと理由があります。

立てば芍薬

芍薬

芍薬はすらりと伸びた茎の先端に華麗な花を咲かせます。

そのため、

芍薬は立った姿を見るのが一番美しいとされたようです。

また、

芍薬が咲いている様子が、

美しい女性が立っている姿のようだから、

という説もあります。

ゴージャスでいてエレガントな大輪の花からは、

バラの香りにオリエンタルな香り成分を足したような、

バラよりも淡く爽やかな良い香りがします。

その芳香のせいもあるのか、

芍薬はヨーロッパでは「5月のバラ」と呼ばれ親しまれている花です。

フランスでは、爽やかな香りのワインを「芍薬の香り」と表現するとか。

豪華な花というだけではなく、良い香りもする芍薬。

女性らしさが漂う存在感たっぷりの芍薬は、

まさに美しい女性の象徴といえますね。

座れば牡丹

牡丹

華やかな大輪の花を咲かせる牡丹と芍薬。

一見するとかなり似ています。

芍薬も牡丹も同じボタン科・ボタン属の花なので、

同じ花だと思っている人もいるかもです。

花自体はよく似ていますが、

牡丹は木本性(樹木)で芍薬は草本性(草)です。

牡丹は枝分かれした横向きの枝に花をつけます。

そのため鑑賞するときには、

牡丹は座って見るのが一番美しいということから、

「座れば牡丹」

とされたようです。

また、

美しい女性が座っているようだから、

という説もあります。

牡丹は花札の絵柄にもなっていますね。

芍薬に比べると、

花ぶりは牡丹の方が大きくどっしりとした貫禄があります。

「立てば芍薬坐れば牡丹」は

芍薬は枝分かれせずまっすぐ伸びるので、

すらりとした立ち姿の華麗な美人に、

一方の牡丹は枝分かれして低く横に広がっていくので、

落ち着きのある清楚な美人に見立てているのです。

ちなみに、芍薬と牡丹の2つの花の英語名は「peony」。

芍薬と牡丹は英語圏の国では区別がされていません。

なので、

同じ花だと思うのも無理もないですし、

どちらも同じく「美人」を表すのも自然といえますね。

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歩く姿は百合の花

ヤマユリ

たおやかな茎の先でうつむくように咲く百合は、

風を受けて揺れるさまが美しいことから、

百合は美しい女性が歩く姿のようだと例えられています。

また、

百合は歩きながら見るのが一番美しい、

という説もあります。

百合にはヤマユリ、ササユリ、オニユリ、オトメユリ、テッポウユリなど、

沢山の種類があります。

少し触れましたが、

『立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花』は、

江戸時代に出来た言葉です。

「歩く姿は百合の花」

とたとえられた百合の花はどの種類なのでしょう。

芍薬も牡丹も大輪で豪華な花なので、

それに負けずに豪華で、

なおかつ江戸時代からあった百合といえば「ヤマユリ」が浮かびますが、

楚々と歩く姿を思えば「ササユリ」かも。

どの種類の百合を指しているのかは明確にされていません。

■ 百合の種類はヤマユリ?

『立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花』の由来は、

生薬を示す言葉からきたという考え方があります。

『立てば芍薬』の「立てば」は、

「気が立っている」という精神のイライラを示しており、

それには芍薬の根を乾燥させて煎じて飲ませると鎮静作用があります。

『座れば牡丹』の「座れば」は、

胃腸に血が滞まっているせいで座りこむことが多い人に。

何かとすぐ座ってしまう人には、

牡丹の根の皮の部分(牡丹皮・ぼたんぴ)を煎じて飲ませると改善することから『座れば牡丹』。

『歩く姿は百合の花』は、

生薬で咳止めとして処方する百合の根が由来で、

百合の花の咲いている姿が、

首をもたげて咳をしている様子に見えることからきていると。

で、

咳止めの生薬として使われる百合の根は「オニユリ」を使います。

なので、

百合の種類は「オニユリ」である、

という説もあります。

いずれにしても、

歩く姿が美しい百合の花にたとえられているわけですから、

どの種類の百合であっても、

花の綺麗さにもその人の美しさにも遜色ないことですね。

立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花の使い方と注意点

今どきは、

『立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花』

を口に出すと、

場所と場合によっては

「人を外見で・・・」

といったパワハラに捉えられないことも少なくありません。

確かに見た目の容姿を対象として、

それを評価するような言い方になるので、

ビジネス絡みの場所では使わない方が無難です。

特に女性がいる職場では、

女性の美しさを例える言葉だけに、

聞く側がその対象であっても、

そうでなくても、

敏感になりやすいもの。

なかには差別発言と受け止める人がいる可能性もあります。

『立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花』を使う時は、

冗談が通じるような親しい間柄にとどめておくことをおすすめします。

立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花の意味とは?使い方もご紹介 まとめ

『立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花』は、

美人の姿や立ち振る舞いを花に見立てて形容する言葉で、

「美しい女性のこと」

「女性の美しさを表現する言葉」

として用いられます。

芍薬はすらりと伸びた茎の先端に華麗な花を咲かせ、

牡丹は枝分かれした横向きの枝に豪華な花をつけ、

百合は風を受けて揺れるさまが美しいもの。

こういったことから、

「立ち姿は芍薬のように美しく、

座る姿は牡丹のように美しく、

歩く姿は百合のように美しい」

とされ、

一般的には主に美人を指す言葉として使われます。

また、

「芍薬は立った姿を見るのが一番美しく、

牡丹は座って見るのが一番美しく、

百合は歩きながら見るのが一番美しい」

という考え方もあります。

最近は学校やビジネスの現場で、

個人に対して用いる表現の定義が、

昔より遥かに敏感になってきています。

『立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花』は、

ストレートに美人を指す言葉として、

差別発言と受け止めらられることも。

学生時代、

太め(というかデブ)の友人(♀)が自虐的に、

「立てばビア樽、座ればタライ、歩く姿はガスタンク」

「立てばビア樽、座ればタライ、歩く姿はドラム缶」

などと言って笑ってましたが、

本来のことわざの意味や由来からは程遠い、

真逆とも言える例えに、

それはそれでこちらも笑っちゃいました。

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