こどもの日と端午の節句は同じ意味?
なぜ男の子の節句は祝日なの?
意味や由来は?
簡単にわかりやすく教えて!
その疑問、解消します!
どうして5月5日に端午の節句のお祝いをするのか、
子どもの日と重なる理由、
そのルーツや歴史的な変遷も含めてお伝えします。
こどもの日と端午の節句は意味が違うの?
5月5日はこどもの日。
ゴールデンウイーク真っ只中ということもあり、子どもイベントなどに出かけて家族サービスをするおうちも多いですよね。
こどもの日の5月5日は、端午の節句(たんごのせっく)でもあります。
端午の節句は、男の子の健やかな成長を願う大切な日。
祝日ということで、初節句などで身内が集まり、お祝いをすることも多い日です。
◇ 男の子の初節句について詳しくはこちら。
男の子の初節句はいつ?端午の節句お祝いの仕方と内祝いマナーと作法
こどもの日と端午の節句は違うの?
5月5日は国民の祝日『こどもの日』であり、男の子のお祝いである『端午の節句』の日でもあります。
「5月5日といえば?」
と尋ねられると、
「こどもの日!」
と答えるほうが圧倒的に多いんですが、こどもの日が昭和23年(1948年)に制定されるまでは、5月5日は端午の節句の日として、お祝いの行事が行われてきました。
こどもの日と端午の節句は同じ5月5日ですが、正しくは、「こどもの日」=「端午の節句」ではありません。
国民の祝日に制定されている5月5日の「こどもの日」は、元は「児童愛護デー」でした。
児童愛護デーの主旨は、
「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する日」
というものでした。
それを昭和23年(1948年)に祝日化したのが、「こどもの日」です。
一方の「端午の節句」は中国に由来する風習です。
日本では端午の節句に男の子の健やかな成長を祈願して、さまざまな行事を行っていました。
本来、「端午の節句」は旧暦で行われていた行事なので、地方によっては5月5日ではないところもあります。
つまり、「こどもの日」は男女の区別なく、男の子&女の子全部ひっくるめてのこどもの日、というわけです。
そして、「端午の節句」は男の子の節句です。
女の子の節句であるひな祭りは祝日じゃないけれど、男の子の節句である端午の節句が祝日になっているのは、こういった理由があるのです。
端午の節句の意味を簡単に教えて!
端午の節句は、ルーツをたどると古代中国発祥の厄祓い行事です。
端午の節句は五節句の一つ。
節句とは季節の区切り目、節目の日のことです。
五節句には、人日(じんじつ)(=一月七日)、上巳(じょうし)(=三月三日)、端午(たんご)(=五月五日)、七夕(しちせき)(=七月七日)、重陽(ちょうよう)(=九月九日)があります。
端午の『端』は「初めの」という意味で、「端午」は月の初めの午(うま)の日を指します。
- 端 : 初めの
- 午 : 午(うま)の月/午(うま)の日
のちに、五月が十二支でいう「午の月」であり、「午(ご)」が「五」に通じることや、五という奇数が重なっておめでたい「重五(ちょうご)」の日ということから、
「午の月の端の午の日」=端午
といえば、五月五日をさすようになりました。
つまり、『午=ご=5』の語呂合わせですね。
他にも、数字の重なりを節句としているのは、前述の、3月3日(桃の節句)、7月7日(七夕)、9月9日(重陽の節句)などがあります。
旧暦の5月5日、この時期は雨季を迎える頃。
天候が不安定な季節に、病気や災厄のお祓いは大事な行事となったのです。
端午の節句のもともとの由来とは?
端午の節句の由来は、中国から伝わった風習と、もともと日本にあった風習が融合したものと言われています。
中国から伝わった風習とは?
中国から伝わった風習は、厄払い行事でした。
この風習は二つあると言われています。
■ 紀元前3世紀頃の中国の風習
当時の楚の国で民衆に慕われていた政治家・屈原(くつげん)氏の命日が5月5日。
屈原氏の供養のため、彼が入水自殺した川に、ちまきを投げ入れるなどの風習が始まった、というもの。
■ 毒月のお祓い
旧暦の五月は、中国では別名『毒月』とも呼ばれ、暑くなり始めるこの月は、病気になる人や亡くなる人が多く、厄払いのために菖蒲の葉(しょうぶ)や 蓬(よもぎ)を軒に飾ることで、邪気を払うという風習があった、というもの。
日本にあった風習とは?
もともと日本には、田植え月の五月に「五月忌み」という日本古来の行事をしていました。
五月忌みとは、男は家の外へ出払い、女だけが家の中に閉じこもって、田植えの前に穢れを払い身を清める儀式を行うこと。
五月の初めの午の日は、若い女性たち(早乙女)が家や小屋・神社などにこもって田植えの前に穢れを祓い、魔除けの意味をもつ菖蒲の葉や蓬を軒にさして、厄災を寄せ付けないようにしていたのです。
中国と日本の風習が合わさると?
中国で邪気を祓うとされた菖蒲の葉と蓬が、日本の五月忌みで使われたものと共通しています。
このことから、中国から伝わってきた風習が、日本の女性の厄払いの風習と結びつき、端午の節句の原型になったと言われています。
これ以降の端午の節句は厄払いの意味合いが大きく、宮中で行われる貴族の行事でした。
今では、「男の子のお祝い」という意味合いの端午の節句ですが、当時は女性が主役だったというわけです。
端午の節句の歴史とは?
端午の節句が男の子のお祝いの日になったのは、鎌倉時代の武家社会になってからです。
理由は、厄払いに重宝されていた「菖蒲」にあります。
武家社会の端午の節句とは?
宮中で行われる貴族の行事であった端午の節句が、武士の間で広まり、男の子のお祝いの日になったキーワードは菖蒲です。
- 「菖蒲」が、武道を重んじるという意味の「尚武」同じ読みであること
- 菖蒲の葉の形が剣に似ていること
- 「尚武」が「勝負」に通じていること
といった理由から、端午は男の子と結びつくようになり、端午の節句が男の子の誕生のお祝い、健やかな成長と出世を願う行事になったと言われています。
昭和23年「こどもの日」に
5月5日は昭和23年に「こどもの日」として制定されます。
『国民の祝日に関する法律』によると、
「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する」
という日になり、現在にいたります。
端午の節句の風習はそのまま残り、5月5日は男の子の健やかな成長を祈る行事が行われる日でもあります。
男女の別なくお祝いをするこどもの日ですが、3月3日が女の子の節句なので、現在でも男の子のお祝いの日というイメージが色濃くあるようです。
こどもの日と端午の節句は同じ意味?由来と歴史で違いが簡単にわかる!まとめ
5月5日は国民の祝日、こどもの日です。
こどもの日は男女の区別なく、男の子&女の子全部ひっくるめてのこどもの日。
男の子は昔からの風習で、『五月五日:端午の節句』に、子どもの幸せを祈り健やかな成長を祈る儀式や行事をします。
端午の『端』は「初めの」という意味で、「端午」は月の初めの午(うま)の日を指します。
男の子のお祝いである端午の節句のルーツをたどると、女性の厄払いの行事にいきあたります。
のちに、鎌倉時代頃から菖蒲が尚武と同じ読みであることなどから男の子の成長を祈る儀式へと変化してきました。
「こどもの日」は生んでくれた母親に感謝する日でもあります。
祝日の5月5日は、いろんなありがとうの気持ちを大切にしたいですね。