冬将軍とは誰のこと?
冬将軍が日本に近づいてくるとどうなる?
どんな起源や語源から冬将軍と呼ばれるの?
その疑問、解消します!
ルーツになった歴史上の超有名人、
冬将軍が生まれたヨーロッパの出来事、
語源の初出と翻訳にまつわる話も含め、
わかりやすくお伝えします。
冬将軍とは誰のこと?
「いよいよ冬将軍の到来!」
寒さが厳しくなってくると、ニュースや天気予報などでよく見聞きするフレーズです。
「今年最初の冬将軍がやってきました」
「来週も冬将軍が居座りそうです」
なんて聞くと、
「将軍?将軍って、誰のこと?」
と思ったりするかもですが、
冬将軍とは、冬の時期に周期的に南下する「シベリア寒気団(北極気団)」のことをいいます。
もしくは、
「シベリア寒気団によってもたらされる強い寒さ」
を表す言葉です。
「シベリア寒気団」というのは、冬の時期にシベリアや中国内陸部で、放射冷却により冷たい空気が蓄積されて強まる高気圧です。
日本の冬におなじみの気圧配置、
「西高東低の冬の気圧配置」
のうち、「西高」を構成しているもので、シベリア寒気団からの冷たく乾燥した風が日本付近で北西の季節風となって吹くことで、厳しい寒さをもたらします。
この、強い寒気や寒波を擬人化して、『冬将軍』と呼んでいるわけです。
「冬将軍がやって来る」
といった言い方をしていたら、
「冬型の気圧配置が高まる」
という意味合いです。
冬将軍が到来すると、日本海側には猛烈な降雪をもたらし、太平洋側では、肌を刺すような冷たい北西風が吹き荒れます。
冬将軍という呼び名は、厳しい寒さを連想させるには、ぴったりな表現ですよね。
天気予報で聞くことが多い冬将軍ですが、気象用語ではありません。
キャッチーな言葉なので、よく使われていますが、冬将軍という言葉には、ある有名な歴史上の人物が由来しています。
冬将軍の起源となった人物とは?
冬将軍のルーツをたどると、かつてヨーロッパの大半を制圧し、フランスの名を世界中に知らしめた超有名な人物が登場します。
その人物とは、フランス革命時代の皇帝、ナポレオン・ボナパルト(Napoléon Bonaparte:1769年8月15〜1821年5月5日)です。
フランス革命というのは、王政の打倒を目指した市民革命です。
フランス革命は漫画の『ベルサイユのバラ』や映画の『マリー・アントワネット(2006)』などでも描かれているので、当時の国王夫妻・ルイ16世とマリー・アントワネットが処刑された革命として、知っている人も多いのでは。
ナポレオンは、そのフランス革命の後半、混乱に乗じて颯爽と現れた若き陸軍士官です。
フランス革命の反動を鎮圧して国民の人気を得ると、一気に神聖ローマ帝国皇帝の座まで駆けのぼり、やがてヨーロッパ全域の支配へと向かいます。
ちなみに、ベートーヴェンの交響曲「英雄」はナポレオンを讃えて作曲されたものです。
冬将軍とナポレオンの関係とは?
祖国愛に燃える義勇兵に支えられたナポレオン率いるフランス軍は、ヨーロッパ諸国をどんどん攻略し、イギリス以外の国を勢力下に取り込んでゆきます。
そうしてナポレオンはついに大国、ロシアへの侵攻を決意します。
1812年6月、27万人のフランス軍と同盟国からの援軍を合わせて総勢60万人という大軍勢で、ナポレオンはロシア侵攻を開始しました。
ところが、ロシア侵攻ではナポレオンにとって想定外のことが起こります。
冬が近づくにつれ、ナポレオン軍はロシアの厳しい寒さと、食糧不足に苦しむようになるのです。
ロシア軍は、ナポレオンとまともに戦えば負けることがわかっていたので、広大な国土をうまく利用して、軍同士の衝突を避ける方法をとったからです。
ロシア軍は、逃げるときには町や畑、物資と食糧をすべて焼き払って逃げていきました。
ロシア軍を追うフランス軍の行く先々は、すべて焼け野原。
徹底的な焦土作戦ですね。
それでも、フランス軍は9月にはモスクワを占領します。
ですが、ロシア側が講和に応じないため、フランス軍のモスクワ滞在は長引いてしまいます。
ロシア側の焦土作戦によって、フランス軍は満足な宿舎もなければ、食料などの物資を調達できません。
兵士たちは疲弊し、消耗し、みるみる士気も落ちていきます。
そこへとどめを刺したのが、ロシアの厳しい寒さです。
フランス軍がロシア侵攻をした1812年は、東欧へのシベリア気団の訪れが例年より早く、とても厳しい寒さだったといいます。
その年の10月、ナポレオン率いるフランス軍は、ついにロシアからの撤退を始めますが、そこからロシア軍の追撃にあうことになります。
飢えと寒さのダブルパンチで苦しめられたロシア遠征では、約24万もの犠牲者が出たほか、脱走兵や捕虜となった者も多く、ロシアを抜け出せた兵はわずか2万人ほどだったとか。
一説には生還できたのは、約5000人程だったともいわれています。
冬将軍の語源は?
結果的にナポレオン率いるフランス軍のロシア遠征は敗退に終わります。
モスクワを占領されても、合戦には持ち込まなかったロシアの作戦勝ちとなったのです。
このナポレオンの敗戦を、イギリスの新聞記者が記事で、
「General Frost(霜将軍)に負けたナポレオン」
と書きました。
これが、冬将軍の語源として広く知られています。
冬将軍の語源は風刺漫画?
いろんなサイトで、イギリスの新聞記者が記事で書いた「General Frost(霜将軍)」が冬将軍の語源とされています。
ですが、調べてみると、“General Frost” の初出は風刺漫画とする説もあります。
最初に、“General Frost” と表現したのはThomas Tegg出版社から出版の
William Elmes氏が描いた風刺漫画、
『GENERAL FROST Shaveing Little BONEY』
から来ているという考え方です。
“ Little BONEY ” は、ナポレオンの愛称。
いずれにせよ、直訳すれば「霜将軍」となる “ General Frost ” を、「冬将軍」と翻訳したのは、名訳ですね。
ナポレオンのロシア遠征を背景にしてトルストイが書いた小説、「戦争と平和」に出てくる “ General Frost ” を、森鴎外が「冬将軍」と翻訳したという話もあります。
誰が訳したのかについては明確な証拠がないのですが、「冬将軍」って字面も響きもカッコよく、めちゃくちゃ強そうな気がします^^
ナポレオンのロシア侵攻から130年後の第二次世界大戦時、「冬将軍」はヒトラーによるソビエト攻撃のときも活躍しました。
当時のソビエト軍の反撃も強かったといわれますが、急激な寒さによってドイツ軍の冬装備が間に合わなかったことも大きな要因となり、ドイツ軍はソビエト攻撃に失敗します。
ナポレオンともども、ヒトラーもまた、冬のロシアの天候を軽く見ていたのかもしれません。
結局、「冬将軍」と呼ばれるロシアの寒気、シベリア寒気団の威力にはナポレオンもヒトラーも歯が立たなかったのです。
冬将軍とは誰のこと?起源と語源でわかる冬に到来する将軍とは? まとめ
「冬将軍」とは、冬の時期に周期的に南下する「シベリア寒気団(北極気団)」のこと。
もしくは、
「シベリア寒気団によってもたらされる強い寒さ」
を表す言葉です。
「冬将軍」という言葉が生まれた起源となった人物は、フランス革命時代の皇帝、ナポレオン・ボナパルトです。
「冬将軍」の言葉の語源、使われるようになったきっかけには2説あります。
ひとつは、ナポレオンのロシア遠征の失敗を、新聞が、
「General Frost(霜将軍)に負けたナポレオン」
と書いたこと。
もうひとつは、風刺漫画の
『GENERAL FROST Shaveing Little BONEY』
から来ているというものです。
いずれも、元は「General Frost」で、日本に入ってから、「冬将軍」と翻訳されました。
シベリア寒気団から来る強い寒気を指す「冬将軍」ですが、その言葉は、18世紀のヨーロッパの出来事が由来しているんですね。
「冬将軍」が到来すると、日本海側には猛烈な降雪をもたらし、太平洋側では、肌を刺すような冷たい北西風が吹き荒れます。
年末から春先にかけての長い「冬将軍」との戦い、乾燥に気をつけて、暖かい格好で身体を守ってくださいね。