時の記念日とは何をする日?
どんな意味や由来があるの?
なぜ毎年6月10日に決まっているの?
その疑問、解消します!
「時」というのは何を指しているのか、
具体的に何を記念するものなのか、
どんなイベントが開催されるのかも含めて、
わかりやすくお伝えします。
時の記念日とは?
暮らしの中で日々、何かしらの記念日がありますが、
その中でも、
「知られているようで知られていない」
でも、
「知っている人は当たり前のように知っている」
という記念日のひとつに
『時の記念日(ときのきねんび)』
があります。
『時の記念日』の「時」とは「時間」のこと。
時間というものは、
わたしたちが日常生活を送る上で切っても切れないものですよね。
学校や職場、
公共機関や交通機関、
スマホやパソコン、
店舗の営業時間やテレビ・ラジオ・イベントなどの開始時間、、、
などなど、
ふだんの暮らしのすべてにおいて「時間」は欠かせないものです。
そんな時間を記念する日の『時の記念日』とは、
どんな記念日なのでしょう。
時の記念日とは?
時の記念日は、毎年6月10日。
時の記念日は時間を守る大切さを広めるために制定された記念日です。
時間を尊重し、生活の改善・合理化を進める目的で、
1920年(大正9年)に制定された記念日で、
東京天文台(現在の国立天文台)と生活改善同盟会によって制定されました。
生活改善同盟会というのは、文部省の外郭団体で、伊藤博邦(博文の養子)を会長とし、渋沢栄一をはじめ政官界の有力なメンバーを役員とした財団法人で、
国家的利益と産業効率を向上させるため、人々の生活意識そのものを改革することを目標として、社交儀礼から服装・食事・住宅まで生活全般に関わる改善と合理化を先導した団体です。
当時の日本人に、
「欧米人なみに時間を尊重する意識を持ってもらいたい」
と願い、
国民に、
「時間を守ることは大切なこと」
という意識を持つよう呼びかけたのです。
時の記念日の意味と由来は?
世界中の人から、
「日本人ほど時間に正確な国民はいない」
と言われ、
大多数の人々が『時間を守ること』を最低限のマナーとして認識している我が国ですが、
昔の日本人は、時間に対しての認識は結構ルーズなものがありました。
ちょっと意外ですよね。
そもそも時計という概念がなかった江戸時代は、
『不定時法(ふていじほう)』と呼ばれる時刻制度が使われていました。
季節によって1時間の長さが変わらないのが『定時法』、
変わるのが『不定時法』です。
不定時法は日の出と日没を基準として、
日の出およそ30分前を「明け六つ」、
日没およそ30分後を「暮れ六つ」とし、
その間を昼夜それぞれ六等分して
「一刻(いっとき)」
とするものです。
この不定時法では、
一刻の長さが昼と夜で、
また、季節によっても違ってきます。
現代では考えられないアバウトな時刻制度ですよね 笑
ましてや江戸時代のことですから、
時計を持っているのは大名や豪商などだけ。
時計を持っていない江戸の庶民は、
定期的にお寺が鳴らす鐘の音で時刻を知るか、
和紙で作ったお手製の日時計で時刻を知るしかなかったのです。
このように日本人の場合、
環境的に時間にルーズにならざるを得ない歴史があったわけです。
ですが、
時代が大正に変わって近代化が進むにつれて、
政府の中でも
「諸外国に追いつくためには時間に対する認識が必要だ」
という気運が高まります。
「欧米並みに『時間』を生活に取り入れよう」
「時間を効率的に使って産業の発展を目指そう」
「時間を守ろう」
日本の近代化を図るためにも、
国民に時間の大切さを尊重する意識を広めることは必要だったのです。
そのような流れの中、
生活改善同盟会が、
1920年(大正9年)5月16日から7月4日まで、
東京教育博物館で「時の展覧会」を開催し、
期間中の6月10日を時の記念日として設定し、
行事・宣伝を行ったのが始まりです。
時の記念日はなぜ6月10日?
時の記念日の由来は、
第38代天皇の天智(てんじ)天皇(在位 668~671) の時代まで遡ります。
時の記念日が毎年6月10日と制定された理由は、
671年4月25日(太陽暦の6月10日)に、
天智天皇が初めて水時計を利用して時刻を計って、
世の中に広く時刻を知らしめたという故事にちなんでいます。
日本書紀にはこのような記述があります。
(漏尅を新しき台に置く。始めて候時を打つ。鐘鼓を動す。始めて漏剋を用いる。此の漏剋は、天皇の皇太子に爲(ましま)す時に、始めて親(みづか)ら製造(つく)りたまふ所なりと、云々(うんぬん)。
※訳:坂本太郎・家永三郎・井上光貞・大野晋校注『日本古典文学大系68 日本書紀 下』 岩波書店
「漏尅(ろうこく)」というのは水時計の一種で、
水を入れた器(漏壺:ろうこ)から常時一定量の水を落とし、
その水位変化によって目盛りが時刻を示す装置です。
いくつかの木箱を階段状に置いて、
管によって水を順に下の箱に送り込み、
最下方の箱に矢を立てて、
その矢の浮き沈みによって時刻を計るのです。
天智天皇の時代には時計らしい時計というものはなく、
時刻の目安は太陽の動きによって変わる影を利用した日時計を用いていました。
日時計は日中しか使えず、
しかもお天気が良いときしか使えないものです。
それが、天智天皇の水時計(漏尅)によって、
昼間でも夜でも、
いつどんな時間でも、
どんなお天気の時でも、
正確な時刻を知ることができるようになったわけですから、
まさに革命的なアイデアです。
天智天皇の水時計(漏尅)がはじめて時を刻んだのが、
671年4月25日。
この4月25日が現行暦(太陽暦)の6月10日にあたることから、
6月10日が時の記念日となりました。
時の記念日には何が行われているの?
時の記念日には、さまざまな行事やイベントが行われています。
近江神宮の『漏刻祭』
天智天皇が祀られている滋賀県大津市にある近江神宮(おうみじんぐう)では、
毎年6月10日に『漏刻祭(ろうこくまつり・ろうこくさい)』が行われます。
境内には日本最初の時計博物館があり、
この日は無料公開されます。
内拝殿前には滋賀県花道協会による献花が活け込まれ、
『漏刻祭』の当日は奉納行事として、
「女人舞楽 原笙会(にょにんのぶがく はらしょうかい)」による舞楽が行われます。
王朝装束をまとった時計業界の御人による、
各メーカーの新製品を御神前にお供えする儀式もあります。
近江神宮は1940年(昭和15年)に創建され、
翌年の1941年(昭和16年)の6月に、
第一回の『漏刻祭』が開催されました。
それ以来、『漏刻祭』は現在まで途切れることなく続いています。
時の記念日6月10日 全国では?
全国の時計店でも、
6月10日はさまざまなサービスや、
趣向を凝らしたイベントを設けているところがあります。
実家の近所の商店街にある時計屋さんでは、
わたしが子供の頃から毎年6月10日になると、
『時の記念日割引サービス』
と銘打って、
店で扱っている『眼鏡』も割引しています 笑
子どもたちのあいだでも
時の記念日に社会科見学で時計工場に行った、
とか、
保育園や幼稚園で時の記念日に先生方が、
「時間の大切さ」
についてお話をしたという話もよく聞きます。
時の記念日は
時間を考えるきっかけになる役割としても、浸透してきているように感じます。
時の記念日は国民の祝日ではありませんが、
ずいぶん以前から、
「6月10日の時の記念日を国民の祝日にしよう!」
という意見があります。
6月は祝日が一日もない月でもあり、
時の記念日が祝日になると、
より一層、
「時間の大切さ」
を再認識できるのでは、
という考え方から推進運動をしている人たちもいます。
◇詳しくはこちらの記事にまとめています。
・6月に祝日がない4つの理由とは?これから増える予定や見込みはある?
時の記念日とは何をする日?意味や由来でわかる6月10日になったわけ まとめ
時の記念日は、
時間を守る大切さを広めるために制定された記念日です。
時の記念日が毎年6月10日と制定された理由は、
太陽暦671年6月10日に天智天皇が、
日本で初めて水時計を利用して時刻を計ったことにちなみます。
「時は金なり」
とはよく言われますが、
時間はすべての人に与えられた唯一のもの。
元プロ野球選手・監督として著名な故・野村克也氏は、
「時間は平等に与えられるが、結果は平等ではない」
と言いました。
なかなか深遠な言葉だと思います。
誰もに平等、かつ有限な資源である時間。
時の記念日をきっかけに、
あらためて自分にとっての時間を考えてみるのもいいですね。
◇ 記事中でご紹介した関連記事
・6月に祝日がない4つの理由とは?これから増える予定や見込みはある?