博多どんたくのどんたくとは?意味と由来を祭りの歴史もまじえてご紹介

博多どんたくのどんたくとは?意味と由来を祭りの歴史もまじえてご紹介

博多どんたくのどんたくとは何のこと?

意味や由来、歴史は?

いつからどんたくと呼ばれているの?

その疑問、解消します!

博多どんたくの起源と「博多松囃子」、

博多と平重盛公との関係、

どんたくが中断された歴史的背景も含めて、

わかりやすくお伝えします。

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博多どんたくのどんたくとは何のこと?

福岡の博多といえば日本屈指の観光地。

水炊き、モツ鍋、ラーメン、明太子と博多グルメも有名ですが、

ゴールデンウイーク中に開催される「博多どんたく」は、

全国的にも有名なお祭りです。

正式名称は、

福岡市民の祭り 博多どんたく港まつり

と言い、

福岡県福岡市で毎年5月3日5月4日に開催される、

福岡博多を代表する祭りの一つです。

博多どんたくはゴールデンウィークの期間中、

5月3日と4日に200万人という、

日本一の人出を誇るお祭りで、

福岡の地はまさに祭り一色に染まります。

毎年、企業・学校・商店街・町内会・グループなどが、

さまざまな趣向を凝らした『どんたく隊』を編成して、

ユニークなアイデアで街をパレードし、

福岡の街角では本舞台・演舞台が各所に設けられます。

街全体が踊りの舞台といっても過言ではない博多どんたくは、

実に約830年の歴史を誇る伝統的なお祭りでもあります。

祭り好きの博多っ子が愛してやまない『博多どんたく』ですが、

この『博多どんたく』の「どんたく」とはどんな意味があるのでしょうか。

博多どんたくの名前の由来は?

博多どんたく』の「博多」は地名だからわかるとして、

どんたく」というのは何を指すのか、

言葉だけではさっぱりわからないですよね。

「どんたく」がひらがな表記になっているので、

余計に惑わされるのですが、

実はこの「どんたく」、

語源はオランダ語なんです。

オランダ語に

zondag(ゾンターク)』

という言葉があります。

『zondag』の「zon」は「太陽」、

「dag」は「日」を表し、

『zondag』は「日曜日」や 「休日」を意味します。

「どんたく」はこの「ゾンターク」が由来で、

「ゾンターク」が訛って「どんたく」に転化したと言われています。

オランダ語とはちょっと意外な由来ですが、

ただ、

「ゾンターク」はドイツ語読みであり、

オランダ語では「ゾンダッハ」と発音されるとか。

ドイツ語読みが転化したのかオランダ語読みが転化したのか、

そのあたりは定かではありませんが、

いずれにしても英語ではなく

ヨーロッパの言語を取り入れているなんて、

さすが博多っ子、

なかなか粋な感じがします。

なぜ「日曜日」や 「休日」を意味する「どんたく」がお祭りに使われるようになったのかはハッキリしていませんが、

祭りの日は何があろうと仕事を休んで参加するぞ!

という博多っ子の意気込みを表したものだという説があります。

いったい、いつごろから『博多どんたく』という名称が使われるようになったのでしょう。

博多どんたくの由来は?

博多どんたくの歴史は古く、

そのルーツは民族行事『博多松囃子(はかたまつばやし)』にあり、

平重盛が由来になっているとされています。

松囃子とは?

松囃子(まつばやし)」とは、

小正月(旧暦1月15日)に新年を祝福して行われていた行事で、

「松拍子」や「松拍」とも言われます。

新しい年に祝福をもたらす歳神さまを迎える民俗行事で、

室町時代に京都で始まったと言われ、

もともとは領民が領主に対して行う正月の祝賀行事でした。

正月3日から15日にかけて、

村々の地下人・公卿侍・大名などが徒党を組んで、

宮廷や幕府・豪家を訪問して、

七福神の舞・鶴亀舞などを舞い、

趣向をこらした作り物を出して興を添えたことが、

『看聞御記』や『満済准后日記』などの文献に記されています。

その祝賀行事が町衆や侍たちによってさまざまな正月芸能となり、

各地で趣向を凝らした松囃子になったといわれています。

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博多松囃子とは?

博多どんたくのルーツ、博多松囃子は、

1179年(治承3年)に病没した平重盛の恩恵を感謝するために始まったとされています。

平重盛は、

日本初の武家政権を打ち立てた平清盛の息子です。

平重盛は宋(中国)との貿易を活性化させ、

博多の街に多大な利益をもたらした武将として知られています。

日本で最初の人工港となった『袖の港』を博多に造営したのは平重盛です。

平重盛が宋の寺に黄金3千両を寄進した際は、

使者たちは博多を経由して渡りました。

この時に恩恵を受けた博多の人々が、

「恩返しをしたい」

「重盛に感謝の意を伝えたい」

ということから、

重盛の没後の正月に「松囃子(まつばやし)」をはじめた、

という言い伝えがあります。

このように博多松囃子は、

博多がかつて平家の対宋貿易の基地であったことが始まりと言われていますが、

一方で、

室町時代(1336年~1573年)に博多を領した大友・大内両家の影響を受けて博多町人の年中行事になった、

とか、

室町時代に京都で行われていた年頭に福を祝う松囃子の風習が博多にも伝わった、

とも言われています。

福岡 博多どんたくの歴史とは?

江戸時代(1603年~1868年)になると、

博多松囃子は、福岡藩主を表敬訪問する小正月の行事でした。

福岡城下の人々が藩主である黒田氏を表敬する、

正月15日の年賀行事として博多松囃子が行われていました。

通りもん』と呼ばれる行列が、

福岡城へ新年のお祝いに赴き、

その後は市中を練り歩き、

神社仏閣や町内の有力者などの家を回ってお祝いをしていました。

『通りもん』というのは、

福禄寿、恵比寿、大黒天の三福神と稚児を本体とし、

それに博多の町人たちが趣向を凝らした仮装をしたり出し物をしたりする行列です。

商人や知人の家では演芸を披露し、

そのお返しとして、

酒肴が振舞われることも。

この『通りもん』が、

現在行われている博多どんたくの原型になっており、

今でも、神社や仏閣、老舗の商店や企業、官公庁などを祝います。

『通りもん』は、博多土産のお菓子の名前にも付けられていますね。

明治時代(1868年~1912年)になると、

「金銭を浪費し、かつ文明開化にそぐわない」

という理由から禁止されてしまいます。

1872(明治5)年11月に、

正月の松囃子は禁止、

天長節(天皇誕生日)などを祝うように、

という通達が県から出されました。

ですが、

1879(明治12)年には

「博多松囃子」が「どんたく」と名前を変えて天長節を祝った

という資料が残っています。

開催が正月でなくなったりと、

祝いの祭りも時代の影響を受けながら形を変えて、

ここで「どんたく」が出てくるんですね。

その後、

どんたくは日露戦争の勝利のお祝いや、

大正天皇の即位の祝事でも行われ、

1915(大正4)年からは、

招魂祭の4月30日と5月1日に行われるようになります。

どんたくは昭和天皇の即位のときにも行われましたが、

1938(昭和13)年に一時中断します。

第二次世界大戦ですね。

戦時中はやむなく中断となりましたが、

終戦後の1946(昭和21)年5月、

『博多復興祭』としてどんたくが復活します。

翌年の1945(昭和22)年5月24日と25日には博多どんたくが開催、

3台の花電車(花自動車の前身)と16箇所の仮設舞台が設置され、

現在の博多どんたくの形が生まれます。

1949(昭和26)年からは憲法記念日である5月3日と4日が開催日となり、

名称が『松囃子どんたく港まつり』となりました。

5月2日に前夜祭が行われるようになったのは、

1961(昭和36)年からになります。

そして1962(昭和37)年、

「福岡市民の祭り振興会」が結成され、

名称も『博多どんたく港まつり』となりました。

多くの市民団体がシャモジを持ってパレードに参加したり、

街中にいくつも設置された舞台で踊りを披露する、

福岡市民のお祭りとして現在に至ります。

博多どんたくのどんたくとは?意味と由来を祭りの歴史もまじえてご紹介 まとめ

博多どんたくのどんたくは、

オランダ語で休日を意味する「ゾンターク」が語源です。

博多どんたくの由来は

『博多松囃子(はかたまつばやし)』にあり、

明治12年に『博多どんたく』と呼ばれるようになりました。

博多どんたくは時代によって何度か中断され、

終戦後の1946(昭和21)年5月、

『博多復興祭』として、

戦後復興の期待をこめてどんたくが復活します。

今では博多どんたくは参加型のお祭りとして、

全国から観光客が集まる超人気のメジャーお祭り、

国内最大級のお祭りとなりました。

博多どんたくは毎年、大変な人でにぎわいます。

機会があったら、ぜひ、歴史あるどんたくを体感してみてくださいね!

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