建国記念日と建国記念の日の違いとは?
建国記念の日はなぜ「の」が入るの?
2月11日が移動しない理由は?
その疑問、解消します!
祝日になった経緯、
ハッピーマンデーにならない理由、
数奇な建国記念の日の歴史を背景も含めて、わかりやすくお伝えします。
建国記念日と建国記念の日の違いとは?
2月11日は「建国記念の日」、国民の祝日ですね。
会社勤めの頃は、カレンダーの国民の祝日に心が踊った、というか癒されました。
ですが建国記念の日は別。
家でゆっくりとか、趣味を楽しむとかにあてたことは殆どありません。
なぜなら、バレンタインデーの直前だからです。
ハッピーマンデーとはならない祝日「建国記念の日」は平日の休みになることが多く、2月14日のバレンタインデーのカウントダウンが聞こえてきて、ついチョコレートのことを考えてしまうのです。
ここで最終的なチョコの品定めをしたくて、事前にチョコレートを買っていても、また、のこのことデパートのチョコレート売り場まで出掛けていくのが恒例。
売り場はまさにバレンタイン商戦のかき入れ時。
祝日ゆえの猛烈な人混みにもまれて、半ばやけくそ気味にチョコレートを買いまくり、最終的に自分チョコとして食べてしまうというパターンを繰り返しています。
本来の建国記念の日らしいことは何一つしていない・・・。
欧米発祥のバレンタインデーに目が行くばかりで、その前の国民の祝日をバレンタインの買い出しに当てるなんて、これはちょっと日本人としてマズイんじゃないかと。
そんなこんなを友人たちと祝日の使い方について反省しているうちに、ふと気づいたんですが、「建国記念の日」を『建国記念日』だと思っている人が結構いるんですよね。
2月11日は『建国記念日』ではなくて『建国記念の日』です。
「の」が入るのには、ちゃんと理由があるのです。
建国記念日と建国記念の日の違いは?
建国記念日と建国記念の日の違いを理解するために、まず、『記念日』と『記念の日』の違いから説明しますね。
記念日というのは、「歴史的事実として実際にそれがあった日付を記念する」という意味があります。
記念の日には、「具体的に日付の特定はできないけど、大事なイベントとしてそれを記念する」という意味があります。
- 記念日:実際にそれがあった日にちのこと
- 記念の日:日にちが確定していない出来事を祝う日のこと
つまり、
- 建国記念日:「建国した日そのものを祝う日」
- 建国記念の日:「建国したということを祝う日」
ということになります。
建国記念の日はなぜ「の」が入るの?
「建国記念の日」と「の」がつくようになったのは、日本の建国の日がはっきりしないためでした。
たとえば「憲法記念日」の場合。
1947年5月3日の日本国憲法施行日を記念して制定されたので、「の」がつきません。
反対に「建国記念の日」は、厳密にいつ日本という国が建国されたのか、憲法が施行された日のように公式記録にはっきり残っているわけではありません。
なので「の」がついたというわけです。
建国記念の日が制定されたのは1966年。
昭和42年のことです。
ですが、明治時代から戦後すぐの昭和23年までの間も、2月11日は祝日だったのです。
その祝日は「紀元節」と呼ばれていました。
紀元節は、1873年(明治6年)に制定され、日本建国の日という位置づけでした。
これは日本書紀の記述をもとにしており、初代の天皇である神武天皇が即位したとされる日を紀元節としたのです。
紀元節は第二次世界大戦後の1948年(昭和24年)、敗戦後の日本で新しい国作りを指導していた占領軍 (GHQ)の意向で廃止されました。
当時のGHQは、
「紀元節を認めれば、天皇を神と崇拝する日本人が団結し、再び戦争を起こすのではないか」
と懸念したのです。
GHQの読みはある意味は当たっていて、1951年(昭和26年)頃には早くも、
「紀元節を復活させよう」
という動きが保守派の中に高まり、立法化の動きがありました。
その後、長きにわたって国会で議論されていくことになります。
前述のように「建国記念の日」を祝日とすることが決まったのは1966年。
なんと、戦後20年以上が経っていますよね。
これは「紀元節」の日を「建国記念の日」にすることについて、多種多様な意見があったためです。
◇ 紀元節について詳しくはこちら。
・紀元節とは? 皇紀の意味でわかる建国記念の日との関係
建国記念の日が2月11日の理由とは?
建国記念の日がなぜ2月11日かというと、日本の初代天皇である神武天皇(じんむてんのう)が即位した日を新暦に直すと紀元前660年の2月11日になるから、という説が広く知られています。
日本書紀では、神武天皇が初代天皇として即位した日が、紀元前660年の1月1日とされていました。
明治時代にこれを新暦に換算して、結果的に2月11日を「紀元節」としたというものです。
結果的にというのは、紀元節が明治5年に制定された当初は2月11日ではなく、旧暦1月1日に相当する1月29日が紀元節となっていたからです。
神武天皇は、天照大御神(あまてらすおおみかみ)の孫で、高天原(たかまがはら)から日向(ひゅうが)高千穂峰に天降りしたニニギノミコトの曾孫にあたる天皇です。
ですが、神武天皇は歴史学上では実在の人物ではなく神話に登場する架空の人物だと解釈されています。
実際に、この神武天皇が天皇として即位したかどうかもわからないのです。
神武天皇の即位についての資料が日本書紀くらいしかないので、史実としての信ぴょう性に欠けるんですね。
他にも、大和朝廷という連合政権がいつからあったのか、また「国家」としての形が整ったのは聖徳太子以降にすべきなのか、などなど学者のあいだでは議論が絶えません。
前述のように、GHQによる紀元節の廃止には、日本における天皇の影響力を弱めるというのが目的でした。
史実が不確定なものを「記念日」として断定することは、天皇の神格性を助長させることにつながり好ましくないと言う考え方も強くあったようです。
そういった背景から紀元節の日だった2月11日は、国会の建国記念日の設置推進派と反対派のあいだの妥協案として、「建国記念の日」という名前に落ち着きました。
『建国記念の日』と制定することで、2月11日が建国された日と決めるのではなく、
「日本という国が建国されたことをお祝いしましょう」
という解釈ができるようにしたのです。
「日本は2月11日に建国されたわけじゃないけど、今ここにある日本という国が建国されたことを国民みんなでお祝いしましょう」
ということです。
つまり、「建国されたという事実を祝う」という考え方ですね。
このように建国記念の日は、国民の日本の建国を祝う日ですが、国民の祝日に関する法律では次のように規定されています。
建国を「祝い」ではなく「しのび」といったところに歴史の背景が読み取れるようですね。
国によって違いはあるものの、「建国記念日」は、独立記念日だったり、王様の誕生日だったり、国にとっての重要な宗教的出来事などを祝う日というのが圧倒的です。
たとえば、アメリカなら、建国記念日は「独立記念日」とされ、独立宣言に署名された日です。
アルバニアやブルガリは「解放記念日」が建国記念日にあたります。
ちなみに日本のように、建国記念の日を神話に基づいて制定している例は、世界ではかなり稀で、お隣の韓国と日本の2カ国だけと言われています。
2月11日がハッピーマンデーにならない理由
2016年に追加された『山の日』を含めて、日本では年間16日、国民の祝日があります。
このうち、4日がハッピーマンデー法で月曜日に移動しています。
ハッピーマンデー法というのは、連休を作ろうという考えを元に勧められた法案です。
移動した4日以外の12日の多くは、「日付そのものに意味があるため、移動させると意義がわからなくなる」という意見から固定ということになったようです。
「建国記念の日」は、もともと神武天皇が即位したとされる日です。
なので、天皇誕生日と同じように日にちが固定されているため、2月の第○月曜とかにはならないのです。
建国記念日と2月11日の建国記念の日の違いとは?「の」が入る理由 まとめ
「建国記念の日」という名前から、2月11日はてっきり日本が作られた日だと勘違いしている人も多いようです。
建国記念の日は、もともとは紀元節という祝日で、日本書紀の中で初代天皇である神武天皇が即位されたとする日でした。
第二次世界大戦で日本が敗戦したのち、日本を新しい国にしようとしたGHQが感じた脅威で紀元節は一度は廃止、その後、復活しようとするも阻止され、20年以上かけて、ようやく建国記念の日として制定されたのです。
他の国民の祝日と違って、建国記念の日って誕生までに苦労してますよね(笑)。
「日本という国が建国されたことを国民みんなでお祝いしましょう」
という建国記念の日。
今年の建国記念の日は、バレンタインデーに振り回されることなく、あらためてこの国の歴史を振り返ってみたいと思います^^
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