花火の掛け声「たまや」「かぎや」とはなんのこと?
どんな意味があるの?
「たまや」が多いのはどうして?
その疑問、解消します!
玉屋と鍵屋の屋号の由来、
花火大会で掛け声をかけるようになった理由、
意外な歴史エピソードも含めて、わかりやすくお伝えします。
花火の掛け声「たまや」「かぎや」の意味は?
夜空を彩る極彩色の花火。
儚くも美しい打ち上げ花火に湧き上がる拍手や歓声の中、
「たまや~」
「かぎや~」
といった声がかかります。
花火大会でよく耳にする「たまや」「かぎや」は、あまりにも有名な掛け声ですね。
この掛け声の「たまや(玉屋)」「かぎや(鍵屋)」というのは、実在した江戸の花火屋さんの屋号です。
屋号というのは、店名のようなもの。
それぞれの花火屋さんには名を馳せた花火師がおり、玉屋と鍵屋は江戸の人気を二分する花火屋さんでした。
当時、玉屋と鍵屋は大川(現在の隅田川)の両国橋を挟んで、上流と下流に分かれて、互いに花火の技を競ってました。
花火見物の観客は、見事な花火が打ち上がるたび、その花火を作った花火屋の屋号で、その美しさを讃えたといいます。
江戸の夜空に咲く大輪の花火に向かって、川辺や納涼舟、座敷などから
「たまや~」
「かぎや~」
と称賛と応援の意味をこめて飛び交った掛け声です。
ですが、江戸の当時から、「たまや~」の掛け声のほうが多く、その後も掛け声の代名詞といえば、「たまや」です。
それには理由がありました。
花火の掛け声で「たまや」が多い理由とは?
わたしは東京ですが、花火大会に出かけると、聞こえてくる掛け声は「たまや」ばかりです。
地域によっては違いがあるようですが、一般的には、「たまや」のほうが多いと言われています。
熱海の花火大会に行った時、「かぎや」と声をかけていた人がいて、結構注目されていました。
「鍵屋さんに由来のある人かもね」
なんて友人と話していたんですが、
- たまや = 玉屋
- かぎや = 鍵屋
このふたつの花火屋さんは、もとは同じ花火屋さんだったのです。
日本で初めて花火を鑑賞したのは、徳川家康と言われています。
慶長18年(1613年)8月6日と伝えられていますので、今から400年も前のことですね。
種子島に鉄砲が伝わり、そこで使われた火薬が花火へと発展したのですが、家康が見たのは竹筒に火薬を詰めて火を噴くだけのものでした。
ちなみに、三河地方に残る「手筒花火」はこの名残だといわれています。
その後、花火は急速に発展し、江戸で開花するのですが、花火は火事の原因になることから、江戸の町中での使用は禁止されていました。
ですが、水例祭の「両国川開き」の時だけは、花火の打ち上げが許されていたのです。
これが、隅田川花火大会の原型といわれる「川開き花火大会」です。
そこで活躍したのが日本橋横山町の花火師、鍵屋六代目弥兵衛です。
商才に長けた鍵屋六代目弥兵衛は花火市場をほぼ独占していたのですが、「鍵屋」番頭の静七が暖簾分けをし、両国吉川町で玉屋市兵衛を名乗ることとなります。
両国で玉屋が開業したことで、川の上流を「玉屋」、下流を「鍵屋」が担当するようになり、川開き花火大会が二大花火師の競演となっていったわけです。
交互に花火を上げては、お互いの花火の技を競い合うようになりました。
玉屋と鍵屋の双方の花火が上がったところで、花火見物の観客達は、
「より美しく、より素晴らしい」
と思った花火師の屋号を声高に呼びました
これが、花火大会で耳にする「たまや~!」「かぎや~!」の掛け声の由来と言われています。
次第に、玉屋の人気は鍵屋をしのぐほど高くなっていきます。
花火の技術は玉屋のほうが遥かに勝っていました。
当時の浮世絵でも花火が描かれているのは、もっぱら玉屋です。
こうした江戸の玉屋人気の名残から、今でも「たまや」が多いと言われています。
また、「たまや」は語呂が良いので、声に出しやすく、掛け声として掛けやすかったこともあるようですね。
鍵屋と玉屋の由来と歴史
かぎやとたまやは江戸時代に有名だった花火師の屋号でしたね。
「鍵屋」から暖簾分けしたのが「玉屋」ですが、それぞれの歴史を見ると、意外なエピソードが現代につながっています。
「鍵屋(かぎや)」の由来と歴史
鍵屋は、1659年に初代弥兵衛が創業した花火屋です。
「鍵屋」という屋号は、鍵屋の守り神であるお稲荷さんの狐が、一方が『鍵』を、一方が『玉』をくわえていたことから、鍵の方をとって「鍵屋」と名付けたとされています。
「鍵屋」は葦(アシ)の管に火薬を詰めて星が飛び出す花火を開発して名を馳せました。
商売にも長けていたので、玉屋が出てくる前は、花火市場をほぼ独占していました。
鍵屋は現代も続いており、、現存する日本で最も古い花火業者です。
「玉屋(たまや)」の由来と歴史
玉屋は、1808年(文化5年)、八代目鍵屋の番頭だった清七が暖簾分けをして立ち上げた花火屋です。
「玉屋」の屋号の由来も鍵屋同様、お稲荷さんの狐の一方がくわえていた『玉』に由来します。
暖簾分けをしてもらった玉屋は、いわゆる鍵屋の弟子にあたるわけですが、人気でいうと玉屋の花火に軍配が上がり、そのため掛け声も「たまや」が多かったと言われています。
ところが、1843年、玉屋の出火が原因で大火事を起こしてしまいます。
そのため、玉屋市兵衛は江戸から追放となり、廃業の憂き目を見ることになってしまうのです。
創業からわずか35年間しか存在しなかった玉屋が、21世紀の今も花火大会の「たまや」の掛け声で残っているなんて、追放された玉屋市兵衛さんも思ってもみなかったでしょうね。
鍵屋だけになっても、
「橋の上、玉屋、玉屋の声ばかり、なぜに鍵屋と言わぬ情(じょう=錠)なし」
という狂歌が残りました。
江戸っ子ならではの洒落で「情なし」と「鍵屋」で、「情」に「錠(鍵)」の掛詞です。
「両国橋の上から川開き花火大会を鑑賞している観客たちは、玉屋の名前ばかり掛け声している。どうして、鍵屋の名前を呼んでやる優しさ、思いやりはないのか」
といった意味です。
玉屋を欠いた花火大会に、しばらくは江戸の人々も不満があったようですね。
実力があったのに、火事のせいでたった一代で花火のように消えた「玉屋」。
現代も続く鍵屋とは対照的なエピソードです。
花火の掛け声はなぜ「かぎや」より「たまや」?意外な歴史エピソード まとめ
花火大会の掛け声「たまや」「かぎや」。
「たまや(玉屋)」「かぎや(鍵屋)」というのは、実在した江戸の花火屋さんの屋号です。
花火見物の観客は、見事な花火が打ち上がるたび、その花火を作った花火屋の屋号で、その美しさを讃えたといいます。
玉屋はわずか一代でなくなってしまいましたが、江戸を追放されたあとも庶民たちが語り継いだことで、今も花火の掛け声として残っています。
鍵屋は2000年に女性が15代目を襲名し、花火大会のみならず、各種のイベントで活躍しています。
花火は江戸で花開いた日本の伝統的な芸術文化です。
今年の花火大会は、江戸の夜空を思い浮かべて眺めるのも風情があってよいかもしれませんね。