秋田県男鹿半島のなまはげとはどんな行事?
ユネスコに登録された意味って?
名前の由来や起源は?
その疑問、解消します!
なまはげ行事の意味合い、
奇妙な名前の語源、
鬼のお面をつけワラの衣装をまとうコスプレのルーツも含めて、
わかりやすくお伝えします。
秋田県男鹿のなまはげとは?
秋田県、男鹿(おが)のなまはげが、日本が提案した「来訪神:仮面・仮装の神々」としてユネスコ無形文化遺産の登録が決まりました。
「来訪神:仮面・仮装の神々」というのは、なまはげをはじめ、
『仮面や仮装をした住民が家を訪れて怠け者を戒めたり、無病息災を願ったりする日本各地の伝統行事』
の10件をまとめたもの。
『来訪神』は外界から異形の神々が訪れ、人々に福をもたらす行事です。
来訪神には、日々の暮らしの安寧を求める人々の素朴な願いが込められています。
そんな来訪神の代表とも言えるのがなまはげです。
秋田県といえば、
「なまはげ!」
としか浮かばないほど、
なまはげを初めて見た時のインパクトは強烈でした。
子どもの頃、家族旅行で行った秋田で大晦日の晩、
「泣く子はいねがー」
「親の言うこど聞がね子はいねがー」
と、赤い大きな顔をした鬼が歩み寄ってきたときは、あまりの恐怖に泣くことも忘れフリーズ。
テレビでもよく取り上げられるので、インパクトのあるいでたちやその行動は、秋田県民でなくても、広く知られてる行事ですね。
なまはげとは?
なまはげは、秋田県西部に位置する男鹿半島で行なわれる、伝統的な民俗行事です。
この行事は、なまはげと呼ばれる鬼が、大晦日に各家庭を周り、声を荒げながら子供や初嫁を脅かすというもの。
なまはげは、一年の厄を祓い幸福を呼び寄せてくれるものとされています。
昭和53年(1978年)には、『男鹿のなまはげ』として、国の重要無形民俗文化財に指定されました。
包丁を手にした恐ろしい形相の鬼が、
「泣ぐ子いねがー!」
「悪い子いねがー!」
「親の言うこど聞がね子どら(子どもたち)いねがー!」
「怠け者いねが!」
「親の面倒見悪りい嫁いねが!」
などと大声をあげながら探し歩き、地域の家々を回ります。
なまはげに扮装するのは集落の青年たち。
鬼の面をつけ、ケデなどと呼ばれるワラのミノをまとってなまはげに扮します。
なまはげの名前の由来は?
秋田県の伝統民族文化として知られる男鹿のなまはげ。
なまはげって、ちょっと奇妙な語感ですよね。
なまはげの名前の由来は、
『火斑(ナモミ)を剥ぐ(はぐ)』
という言葉が訛ったものといわれています。
ナモミとは火にあたっているとできる赤い斑点状の低温やけどのこと。
寒い冬に囲炉裏や炉端のそばから離れず、暖かい火元にかじりついていると手足にできるのがナモミです。
「仕事もせずに囲炉裏にあたってばかりいるからナモミができる」
ということから、
ナモミは怠け者の象徴と言われ、
怠け者のシンボルであるナモミを剥ぎとって、怠け者を戒めるのがなまはげだったと考えられています。
やけどを剥がされるなんて、ちょっと想像するだけでも、めちゃくちゃ痛そうです。
なまはげの起源は?
なまはげの起源には諸説あります。
地域によって、さまざまな説が語り継がれているので、よく知られているものをお伝えしますね。
漢の武帝が連れてきた鬼説
秋田県男鹿市にある神社、赤神神社(あかがみじんじゃ)の五社堂に伝わる『999段の石段』に由来する説です。
その昔、中国・漢の武帝が不老不死の薬を探しに、5匹の鬼を連れて日本の男鹿にやってきました。
武帝が1日だけ鬼たちを自由にしたところ、
鬼たちは作物を奪ったり、家畜を奪ったり、娘をさらうなど、さんざん悪事をはたらき、村人をとても苦しめました。
困った村人は、鬼たちにある賭けを申し出ます。
「一晩で五社堂まで1000段の石段を築いたら、毎年、娘を差し出そう。だが、もしも出来なかった場合は村から出て行ってくれ」
賭けにのった鬼達は猛烈な勢いで石段を作り始め、あれよあれよという間に石段が積み上がっていきます。
驚いた村人たちは、あと1段、999段まで積み上げたところで、一番鶏の鳴き声を真似して、鬼たちに夜が明けたと思わせました。
間に合わなかったと思った鬼達は悔しがって、大杉を引き抜いて、逆さまに大地に突き刺し、逃げ帰っていきました。
鬼の撃退に成功した村人ですが、その後は、だました鬼のたたりを恐れるようになりました。
そのため、毎年鬼の扮装をして村を訪れた人をもてなし、十分なごちそうをふるまって山に帰ってもらうという行事を始めたという説です。
999段の石段と、鬼が逆さまに突き刺したという杉の木が実在していることから、よく知られている説になります。
漂流してきた異邦人説
なまはげの鬼のお面は、赤い顔に長い髪、大きな目が印象的です。
そこから、なまはげのルーツは男鹿の海岸に流れ着いた異国の人だったという説です。
外国船が難破して男鹿に流れ着いた乗組員が、
山奥に住み着いたり寺に仕えたりなどして、
冬になると人里に下りてきて、物乞いをしたり、盗みをしたと言われています。
その紅毛碧眼(こうもうへきがん)の風貌や、大声で外国語を話す様子が、男鹿の人々にとっては、まさに鬼のように見えたことから、なまはげの由来となったという説です。
山の神説
秋田県の男鹿半島は日本海に突き出した形になっており、沖合いから見ると、海に浮かぶ山のように見えます。
そのことから男鹿半島を山に見立て、村の人々の生活を守る山の神さまを具現化したのが、なまはげだという説です。
お役人説
農閑期にのんびり過ごしている村人を戒めるために派遣された役人が、怠惰を戒めるべく、鬼の形相で家々を訪問したという説です。
修験者説
男鹿には霊場として古くから知られる山があり、修験者(しゅげんじゃ)が多くいました。
修験者というのは、修験道(しゅげんどう)を修行する人のこと。
修験道は、山へ籠もって厳しい修行を行うことにより、悟りを得ることを目的とする日本古来の山岳信仰が仏教に取り入れられた日本独特の宗教です。
修験者は山伏ともいいます。
たいがいの修験者は長い髪をしており、兜巾(ときん)と呼ばれる小さな布の頭巾をかぶり、あしつきの箱の笈(おい)を背負って、金剛杖(こんごうづえ)をつき、ほらを鳴らして山野をめぐり歩いて修行します。
男鹿には「お山」と呼ばれる山があります(真山・本山)。
その昔、お山は山伏の修行の場となっていて、多くの修験者が山に入り修行していました。
修験者が山中で修行する姿や、時々里に下りてきて家々をまわって祈祷する様子がなまはげの由来となったという説です。
秋田県のなまはげとはどんな行事?由来でわかるユネスコ登録の意味 まとめ
なまはげは、秋田県西部に位置する男鹿半島で行なわれる、伝統的な民俗行事です。
この行事は、なまはげと呼ばれる鬼が、大晦日に各家庭を周り、声を荒げながら子供や初嫁を脅かすというもの。
なまはげには、一年の厄を祓い幸福を呼び寄せてくれるものという意味合いがあります。
なまはげは昭和53年(1978年)には、『男鹿のなまはげ』として、国の重要無形民俗文化財に指定され、
平成30年(2018年)11月29日には、ユネスコ無形文化遺産の登録が決まりました。
なまはげの由来には諸説あります。
- 漢の武帝が連れてきた鬼説
- 漂流してきた異邦人説
- 山の神説
- お役人説
- 修験者説
大晦日に訪れるなまはげには、家の邪気を払ってくれるという意味もあります。
ユネスコ無形文化遺産の登録が契機になって、
伝統的に受け継がれてきたなまはげに対する理解がより深まり、地域の活性化にもつながっていくことを願っています。