二十日正月とは何のこと?
意味や由来は?
この日ならではの特別な食べ物は?
どうして1月20日なの?
その疑問、解消します!
二十日正月の別名、
地域によって「骨正月」「麦正月」と呼ばれる理由、
二十日正月独特の料理や行事食も含めて、
わかりやすくお伝えします。
二十日正月とは?
松の内が明けて、成人の日も過ぎ、
暮らしも仕事も通常モードになった頃、
『二十日正月(はつかしょうがつ)』があります。
1月20日は二十日正月の日。
二十日正月は、お正月の終わりとなる節目の日です。
「終い正月」や「正月納め」とも呼ばれます。
本来お正月というのは、年の初めにあたって、一年間家を守ってくれる歳神さまを迎える行事です。
二十日正月の1月20日は、お正月にお迎えした歳神様たちが、それぞれの居場所にお帰りになる日と考えられており、
正月事始め(前年の12月13日)
↓
松の内
↓
人日の節句(1月7日:七日正月)
↓
鏡開き(1月11日 1月15日)
↓
小正月(1月15日)
と続いてきた一連のお正月行事が、
二十日正月の、この日をもって終了するのです。
お正月に関する行事は、年をまたいで1か月以上も続くんですね。
1月20日の早朝にはすべての歳神様たちお帰りになるので、
二十日正月にはお正月の飾り物などは全て片付けて、正月行事を締めくくります。
二十日正月は別名、
『松納め』
『正月送り』
『あがり正月』
とも呼ばれ、
昔は「正月の祝い納め」として、仕事を休む慣わしもあったようです。
1月20日に休めるなんてウエルカムですよね^^
現代ではここまでお正月気分でいることはなかなかムズカシイところですが、
今でも地域によっては、二十日正月には歳神様がお帰りになるということで、前日の1月19日の夜に、尾頭付きのお膳や、小豆御飯をお供えする地方もあります。
他にも、二十日正月の日に特別に食べる料理、行事食を作る地方もあります。
二十日正月に食べる食べ物は?
二十日正月の食べ物は地方によって違います。
代表的なものをお伝えしますね。
二十日正月は「骨正月」
二十日正月を『骨正月(ほねしょうがつ)』と呼ぶ地方があります。
これは、
「お正月用にと、年末年始に用意し準備した鰤(ぶり)や鯛、鮭などの魚が、お正月を終えるこの頃には食べ尽くされ、骨のみとなっている」
ということから、
お正月料理の最終行事として、残った魚の頭や骨を、根菜などと一緒に煮て残らず食べたことに由来します。
現代では、料理の具材は、お正月料理に使った魚類のアラをこの日まで取っておく場合もあれば、
あらためてアラを購入して作ることもあります。
鰤や鮭のアラで大根を炊いたり、
大根煮ではなく、酒粕と一緒に炊いた粕汁にしたりします。
「最後に残るのは骨と頭」
となるので、
『骨正月』の他に、
『頭正月(かしらしょうがつ)』
とか、
『骨崩し』
とも呼ばれるようです。
二十日正月は「麦正月」
1月20日の二十日正月には、『麦正月』といって麦飯を食べる慣わしもあります。
昔はこの日に麦飯だけを食べていたようですが、その上にとろろをかけて食べるようになり、麦ごはんととろろの組み合わせは西日本でよく見られます。
かつての日本の農業においては、春から秋にかけて米を作り、秋に収穫してから翌年の春までは麦などを作っていることが多く、
二十日正月の麦飯には、米以外の作物の豊穣を祈る意味もあったと考えられています。
ちなみに、栄養的に優れ、おいしい麦飯の米麦比は3対1だといわれています。
おうちで麦飯を炊くときの参考にしてみてくださいね^^
二十日正月の「ふなんこぐい」
二十日正月には、魚の骨(アラ)や麦飯以外にも、その地域ならではといった行事食があります。
たとえば、佐賀県鹿嶋市の鮒(ふな)の昆布巻き。
地元では「ふなんこぐい」といって、二十日正月にお供えする慣わしがあります。
「ふなんこぐい」は昆布で巻いた鮒をダイコンやゴボウなどと一緒に煮込んだ郷土料理。
この「ふなんこぐい」に使う鮒や野菜を売る『ふな市』が、毎年1月19日に肥前浜宿酒蔵通りに立ちます。
ふなんこぐいは、その昔、商家や酒造元、網元などが、奉公人や蔵男たちを主座に据えて労をねぎらい、ご馳走を振舞ったのが始まりとされています。
それが、商売繁盛や一年の無事を願うものとなり、室町時代に今の形になったといわれています。
普通、このようなお祝いの席では鯛料理が出されますが、
佐賀県のある有明海ではあまり採れない上、
鯛が高価だったことから、
鯛によく似た鮒を代用したのが始まりと考えられています。
二十日正月は鏡開きの日?
「鏡開き」は、お正月に歳神様にお供えした鏡餅を、お雑煮やお汁粉にしていただくことによって、一家の今年1年の円満と無事息災を願う行事です。
この鏡開きが行われるのは一般的に1月11日が主流ですが、
もともとは二十日正月の1月20日に行われているものでした。
当時の名称は「鏡開き」というより、武家では「具足開き」や「具足祝い」と呼ばれていました。
「具足開き」・「具足祝い」というのは、戦国時代や江戸時代の武家社会で、
お正月に武士の魂とも言える鎧・兜などの甲冑(かっちゅう)の前に供えた『具足餅(ぐそくもち)』をおろして、槌(つち)などで割って食べた年中行事で、鏡開きのルーツとされています。
なぜ1月20日が具足祝い・具足開きの日として選ばれたのかには諸説ありますが、
刀の刃(は)と柄(つか)の語呂にかけて、
と定められたという説があります。
ところが、江戸時代に徳川家の三代将軍家光が4月20日に亡くなったことで、
家光の月命日である20日という日付を避けて、鏡開きを1月11日にずらしたとされています。
◇ 鏡開きの日にちについて詳しくはこちら。
・お正月の鏡餅はいつ食べる?鏡開きの日にちが関東と関西で違う理由!
今でも、地域によっては鏡開きを1月20日に行うところがあります。
二十日正月とはどんな意味?由来と食べ物や行事食をご紹介! まとめ
1月20日は二十日正月の日です。
二十日正月は、お正月の終わりとなる節目の日で、
お正月にお迎えした歳神様たちが、それぞれの居場所にお帰りになる日と考えられていることから、
1月20日の二十日正月にはお正月の飾り物などは全て片付けて、正月行事を締めくくります。
二十日正月の日に、お正月に用意した魚を食べつくすという意味合いの料理を用意することから、「骨正月」と呼ぶ地域もあります。
他にも食べるものによって、「麦正月」など地方ごとに名称が異なります。
まだ、お正月に用意したお餅や食材が残っていたら、感謝の気持ちをこめて、二十日正月に食べきってしまうのもいいですね。
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・お正月の鏡餅はいつ食べる?鏡開きの日にちが関東と関西で違う理由!