こどもの日に柏餅を食べるのはなぜ?端午の節句の食べ物になった由来!

こどもの日に柏餅を食べるのはなぜ?端午の節句の食べ物になった由来!

こどもの日に柏餅を食べるのはなぜ?

端午の節句の食べ物になった由来は?

全国に広まったのはどうして?

その疑問、解消します!

柏の葉でお餅を包む理由、

歴史的な背景とつながる柏餅のルーツ、

柏餅の葉にまつわる逸話も含めて、わかりやすくお伝えします。

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こどもの日に柏餅を食べるのはなぜ?

5月5日は、こどもの日。

この日の行事、「端午の節句」は、男の子の健康と成長を祝う日でもあります。

◇ 子どもの日と端午の節句の違いについてはこちらをどうぞ。
こどもの日と端午の節句は同じ意味?由来と歴史で違いが簡単にわかる!
 

もともと端午の節句は中国から伝わったものです。

菖蒲や蓬など、香りが強い植物を家々の軒先に吊るして邪気を祓う厄除けの行事でした。

端午の節句に柏餅を食べたり、鯉のぼりを飾ったり、鎧や兜、武者人形などの五月人形を飾るようになったのは、日本に入ってからの風習です。

お正月にはお餅、ひな祭りには菱餅や桜餅、そしてこどもの日には柏餅、といったように、日本の伝統行事にはお餅を食べる習わしがありますよね。

先日、友人と話していたら、友人の子どもが通っている幼稚園では、昨年、ゴールデンウイークの合間の給食に柏餅がついていたとのこと。

友人の子どもは、その時初めて柏餅を食べたのですが、それ以来すっかりハマってしまい、年中柏餅をねだるようになったと言って笑っていました。

柏餅は上新粉とくず粉(片栗粉)を混ぜて作ったしんこ餅に餡をはさみ、柏の葉で包んだお菓子です。

大きな柏の葉で包んだ餡入りのお餅は、素朴で飽きがこないおいしさ。

柏餅が日本の歴史に登場し、端午の節句に食べられるようになったのは江戸時代(徳川九代将軍~十代将軍の頃)だと言われています。

柏餅はそれ以後年中行事の代表的な和菓子になりました。

柏餅がこどもの日に食べられるようになったのには、以下の4つの理由&由来があります。


1. 柏の葉が子孫繁栄を表す

2. 柏の葉が柏手に似ている

3. 柏の葉は神聖なもの

4. 柏の葉に薬効がある

こどもの日に柏餅を食べる由来とは?

柏餅を端午の節句に食べる由来は、柏餅の特徴である「柏の葉」にあります。

柏の葉が子孫繁栄を表す

柏はブナ科の落葉樹です。

落葉樹というのは、毎年秋になると全部の葉が落葉して越年する樹木のこと。

春になるとまた新しい葉をつけます。

イチョウなどは、秋の終わりには葉が枯れて落ちてしまいますね。

ところが、柏は落葉樹にもかかわらず、冬が訪れても葉が落ちず、春に新芽が出るまで古い葉が残っている特性があるのです。

冬が来ても葉が落ちないって、それは落葉樹じゃないのでは、って感じがしなくもありませんが(笑)。

柏の木は、茶色く葉が枯れてカラカラになりながらも冬を越すのです。

昔の人は、秋に葉が枯れても、新芽が出る頃までは落ちにくいその柏の姿に、

柏の木には、樹木を守る『葉守(はもり)の神』が宿る

と信じました。

やがて、葉が落ちない柏の特徴に、

子どもが生まれるまで親は死なない

という思いがかけられ、

家系がずっと途絶えない

という意味から、『子孫繁栄の縁起物』として柏の木を崇めるようになりました。

柏の葉が柏手に似ている

柏の葉は、手のひらに似ています。

そこから、柏の葉が餅を包む様子が柏手を打っている様子に似ているとされ縁起がよいものと考えられました。

柏では神さまの前で打つ神聖なもの。

江戸時代の武家社会では、端午の節句に男の子の武運を祈願するのにふさわしいと考えられたようです。

柏の葉は神聖なもの

お餅を包むようになるはるか昔。

食器も土器も無い時代、神事の際には「柏の葉」の上にお供え物を載せ、それを御神前にお供えをして、手を打ってお祈りをしていました。

このことから、神さまに対する「はくしゅ」を「柏手(かしわで)」と呼ぶようになったと言われています。

ちなみに、当時はお供え物(食べ物)を載せる葉のことを、『炊葉(かしきは)』と呼んでいました。

これが「かしわ(柏)」の由来とされています。

神さまに対する大切な役割をしてきた柏の木は、神社にたくさん植えられるようになりました。

柏の葉は神聖なもの、という考え方から餅を包むようになったというものです。

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柏の葉には薬効がある?

子どもの頃、児童館で、「なぜ柏餅を食べるようになったか」というお話を聞いたことがあります。

昔々、あるところに仲良しの三人兄弟がおりました。

末っ子の男の子は病気がちで、長いこと床に臥せっていました。

兄と姉は、なんとか治してやりたいといろいろな方法を試しましたが良くなりません。

ある時、動物が病を治す時に食べる不思議な葉っぱがあるという話を聞きつけ、山に入り、苦労の末に見つけたのが柏の葉です。

ところが、家に持って帰った柏の葉は、どうにも硬くて食べられそうにありません。

そこで、母親が餡を入れた餅を作り、その餅を柏の葉に包んで食べさせたところ、なんと、末っ子の男の子の病気はすっかり良くなりました。

 
わたしが聞いたのは三人兄弟バージョンですが、母と息子の親子バージョンもあるようです。

親子バージョンは、病気がちなのは息子で、山に入って柏の葉を探すのは母親です。

いずれにしても、柏の葉は身体に良い印象です。

柏餅を食べるときには、とても良い香りがします。

この香りの正体は、柏の葉が持つ「フィトンチッド」と呼ばれるもの。

フィトンチッドには抗菌作用防腐効果があるといわれています。

フィトンチッドは樹木が創り出して発散する揮発性物質で、主な成分はテルペン類です。

精神が安定する、リフレッシュする、といった効能がうたわれる『森林浴』は、このテルペン類を浴びること。

なので、柏の葉で病気が治ったという逸話には、頷けるところもありますね。

端午の節句の食べ物柏餅はどうして広まった?

前述のように、柏餅が日本の歴史に登場し、端午の節句に食べられるようになったのは江戸時代(徳川九代将軍~十代将軍の頃)と言われています。

西暦で言うと、1740年頃から1780年あたりですね。

当時の江戸は武家社会

武家社会といえば、世継ぎや跡継ぎが最重要課題です。

将軍の世継ぎ問題や跡目争いなどは、現代でもドラマになりますよね。

将軍に世継ぎが生まれると、城中にたくさんののぼりや作り物の槍、薙刀、兜などを立てて盛大にこれを祝いました。

民間でも、こうした武士の気風をまねて、初節句には厚紙でこしらえた大きな作り物の兜などを屋外に飾りました。

こうして端午の節句は、武家のみならず民間にまで広がって、男の子の誕生を祝う日となったのです。

その流れの中、世継ぎや跡継ぎが最重要課題だった時代、子孫繁栄を意味する食べ物の柏餅も、広く浸透していきます

江戸で生まれた端午の節句に柏餅を供えるという文化は、参勤交代によって日本全国に行き渡ったと考えられています。

柏餅の餡の種類

柏餅の餡の種類は、つぶ餡、こし餡がポピュラーですが、江戸の当時から主流だった餡は2種類。

小豆餡味噌餡です。

関東では普通にある味噌餡も、関西の人には、柏餅の味噌餡は見たことがないとよく驚かれます。

お店によっては、柏の葉の表を内側に包むものは中身が小豆餡(つぶ・こし)で、葉の表を外側にして包むものは味噌餡という区別をするところも。

ちなみに、味噌餡は、砂糖を使う以前の古い調理法のなごりだそうです。

江戸時代の味噌餡、どんな味だったのでしょうね。

甘い味噌餡になれているので、砂糖を使わない味噌餡には興味津々です。

こどもの日に柏餅を食べるのはなぜ?端午の節句の食べ物になった由来!まとめ

5月5日は、こどもの日であり端午の節句です。

端午の節句に柏餅が食べられるようになったのは江戸時代(徳川九代将軍~十代将軍の頃)と言われており、その理由や由来は以下の4つです。


1. 柏の葉が子孫繁栄を表す

2. 柏の葉が柏手に似ている

3. 柏の葉は神聖なもの

4. 柏の葉に薬効がある

江戸時代の武家社会では、子孫繁栄を意味する食べ物の柏餅は広く浸透し、参勤交代によって日本全国に行き渡ったと考えられています。

我が家では、柏餅には温かいほうじ茶を合わせて食べるのが人気です。

柏の葉の香りがほんのり漂うボリュームたっぷりの柏餅と、香ばしいほうじ茶の相性はバッチリ。

是非、ためしてみてくださいね。

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