十二月十二日のお札を玄関や窓に貼る風習とは?逆さ札の由来をご紹介!

十二月十二日と書かれたお札の意味は?

家にお札を貼る由来は?

なぜ逆さまの『逆さ札』にして貼るの?

その疑問、解消します!

泥棒除け・盗難除けになる理由、

大泥棒の石川五右衛門との関係、

火災予防の意味を持つ福島県三島町の例も含めて、

わかりやすくお伝えします。

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十二月十二日と書かれたお札の意味は?

知人宅が泥棒に入られて結構な被害に遇いました。

泥棒は現金・時計・宝石類とブランド物のバッグだけを選び、

それを一番高級なスーツケースに入れて運び出したと見られています。

本当に災難でしたが、知人夫婦が帰宅する直前に泥棒が退散していたのが幸いで、警察からは、もし遭遇していたら命が危なかったと言われたそうです。

強盗殺人、

という言葉が浮かんで、夫婦ともども

「不幸中の幸いだった」

と、なんとか気を取り直したと言ってました。

未だ犯人は捕まらず。

オートロックのマンションなんですが、それだけじゃ安心とはいかないご時世ですね。

この空き巣の一件で思い出したのが『十二月十二日』のお札です。

泥棒除けのお札、

『十二月十二日』

をご存知ですか?

十二月十二日と書いたお札を逆さまにして貼ることから

逆さ札(さかさふだ)』

とも呼ばれています。

十二月十二日と書いたお札を逆さまにして、玄関や扉、家の出入り口、窓などに貼っておくと、泥棒除け・盗難除けになるとされている習わしです。

防犯対策、泥棒除けの一種のおまじないですね。

十二月十二日のお札は主に関西のほうで古くから伝わっている風習です。

京都の親戚の家では、逆さ札を軒下に貼っていましたが、

大阪出身の友人の家では冷蔵庫にマグネットで止めていました。

現代的ですよね(笑)

あと、知り合いの事務所では壁に貼っていたので、その家の習わしや時代で、お札を貼る場所はアレンジされているようですね。

先祖代々大阪府に住んでいるという知人の家では、雨戸の内側(室内側)に貼っていると言ってました。

なぜ十二月十二日なの?

逆さ札に『十二月十二日』と書くのは天下の大泥棒、石川五右衛門(いしかわ ごえもん)が関係しています。

石川五右衛門は、安土桃山時代(1568年-1600年)に活躍した盗賊の首領です。

石川五右衛門は貧しい人から金品を盗むのではなく、豪族・豪商などのお金持ちや権力者から盗みを働く義賊として活動していました。

そのため庶民から人気が高く、ヒーロー的な存在となり、江戸時代には歌舞伎や浄瑠璃などの伝統文芸などにも数多く取り上げられました。

現代でもテレビドラマやゲームなど、石川五右衛門はさまざまな作品に取り上げられています。

石川五右衛門がいつ、どこで生まれ、どのように育ったかなど、その生涯についてはっきりしたことはわかっていませんが、

捕まって処刑されたことを示す記録が複数残っているので、実在の人物であることは間違いないようです。

安土・江戸時代初期の公家・山科言経が記した『言経卿記(ときつねきょうき)』にも、石川五右衛門のことが記されています。

十二月十二日は石川五右衛門の命日?

十二月十二日は、石川五右衛門が京都鴨川の三条川原で釜茹でにされて処刑された日と言われています。

この石川五右衛門の命日である十二月十二日を紙に書いて、侵入してきた泥棒に見せることによって、

大泥棒の五右衛門が釜茹での刑に処された日であることを思い起こさせ、即刻退散させる、

というのがお札に『十二月十二日』と書く狙いだというわけです。

また、家に侵入してきた泥棒にこの札を見せることで、

十二月十二日は石川五右衛門の命日だと知らせ、

「すぐに帰って五右衛門の供養をしなさい」

と促すためという説もあります。

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十二月十二日は石川五右衛門の誕生日?

一方で、十二月十二日は石川五右衛門の命日ではなく『誕生日』だという説もあります。

というのも、前述の『言経卿記』の内容は山科言経という人物の日記なんですが、その中で、

文禄3年(1594年)8月24日の項に石川五右衛門が

「石川五右衛門ら、盗人すり十人、子一人等釜にて煮られる。三条橋南の河原にて成敗なり」

という記述があるからです。

1594年の8月24日というと、今の暦でいえば、10月8日と考えられます。

また、別の資料でも石川五右衛門の命日は「文禄3年(1594年)の夏」という記載があります。

いずれにしても、12月という寒い時期の出来事ではないことから、

12月12日は石川五右衛門の誕生日

という考え方があるのです。

石川五右衛門の誕生日は永禄元年(1558年)12月12日という伝承もあります。

泥棒に石川五右衛門の誕生日を知らせることで、

「今日くらいは盗みを働かないで、石川五右衛門の供養でもして過ごしなさいよ」

という意味合いお札にこめられているという解釈です。

十二月十二日が命日にしろ、誕生日にしろ、大泥棒の石川五右衛門に縁があることに変わりはありませんね。

ちなみに、一部の地域では、12月12日ではなく『12月23日』と書くところもありますが、これも由来は石川五右衛門の誕生日や命日がルーツになっているようです。

なぜ十二月十二日を逆さまにして貼るの?

『十二月十二日』を逆さまにして「逆さ札」を貼る理由には諸説あります。

よく知られているのは

天井から盗みに入った泥棒が見やすいように

という説です。

他には、『十二月十二日』を石川五右衛門の誕生日だとする考え方に由来する解釈があります。

石川五右衛門の誕生日を永禄元年(1558年)12月12日として、

この「12月12日」を逆さにすることで

生まれた月日の反対、

つまり『没年月日』として、

侵入してきた泥棒に、この日に五右衛門が京都の三条河原で釜煎りの刑に処された日であることを思い起こさせ、

「この日くらいは仕事を休め」

と退散させるためだとか。

前述のように本来の石川五右衛門の没年は1594年(文禄3年)年8月24日。

わざわざ誕生日を逆さにして命日とするというのも、なんだかややこしいですが^^;

泥棒稼業で伝説的ヒーローとなった石川五右衛門の存在は、同業者にとっては特別なものだったのかもしれません。

いずれにしても、泥棒の大先輩の顛末を教訓に、盗みを思いとどませるように、というおまじないです。

火除け・火伏せの十二月十二日

京都、大阪、奈良と関西で多く見られる泥棒除けのお札、『十二月十二日』ですが、

福島県の一部ではこの『十二月十二日』のお札を火災予防として貼っています。

防火対策のおまじないですね。

福島県の三島町では、12月12日の日に、数え年で7歳になる子どもたちが、半紙に筆で『十二月十二日』と書き、

そのお札を、神棚や台所・風呂場など火気の多い場所の柱に貼っておく、という風習があります。

この場合の『十二月十二日』は泥棒除けではなく、『火除け』のお守りで『火伏せ札』とも呼ばれています。

『十二月十二日』のお札がどうして火伏せ(火除け)になるのか由来ははっきりしていませんが、

お札を少し斜めに貼っておくと火事にならないという言い伝えもあるようで、数百年と続いている習わしです。

同じ三島町でもこの風習がないところもありますが、

年に一度、子どもたちがこのお札をご近所さんや親戚の家などへ配り歩くことから、各家庭ではこのお札を心待ちにしているといいます。

数えの7歳といえば、就学前の子どもたちです。

おそらく『十二月十二日』の漢字もよくわからないまま書くのでしょうが、大人たちに見てもらいながら書く様子は、思い浮かべるだけで微笑ましいものがあります。

就学前の幼児や6歳の子どもがいる家庭では、事前にご近所さんや親戚の方などから頼まれることも多いようですよ。

発注されて書くとなると、保護者側も気合が入りますね(笑)

十二月十二日のお札を玄関や窓に貼る風習とは?逆さ札の由来をご紹介!まとめ

『十二月十二日』と書いたお札を逆さまにして、『逆さ札』にして貼る風習は防犯予防です。

主に関西の方で古くから伝わっている習わしで、泥棒除け・盗難除けになるとされています。

逆さ札に『十二月十二日』と書くのは天下の大泥棒、石川五右衛門(いしかわ ごえもん)が関係しています。

この十二月十二日は、石川五右衛門の命日や誕生日といわれており、

侵入してきた泥棒に、泥棒の大先輩である石川五右衛門を思い起こさせるのが目的です。

義賊として名を広め、庶民に人気のあった大泥棒の石川五右衛門は、最後は仲間と共に捕まり、親や子どもまで釜茹での刑に処されるという壮絶な死を迎えました。

石川五右衛門の命日なのか誕生日なのかは定かではありませんが、どちらにしても、泥棒の大先輩の顛末を教訓に、

『泥棒に盗みを思いとどませるように』

というおまじないです。

ちなみに、冒頭でご紹介した空き巣に入られた知人宅のマンション。

持ち家でしたが、泥棒が入るなんて物騒だと売却したそうです。

残ったローンに頭を抱えていましたが、予想より1割近く高く売れたらしく、盗まれたものを含めて、なんとかトントンになったとか。

泥棒になんて遇いたくないし、ましてや遭遇することになったら命が危ない。

たとえおまじないでも、紙に

『十二月十二日』

と書いて貼るだけのお札なら、今すぐできる防犯対策ですね^^

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