甲子園の土を持って帰るのはなぜ?ルーツと由来 いつから定着したかもご紹介

甲子園の土を持って帰るのはなぜ?ルーツと由来 いつから定着したかもご紹介

高校野球で甲子園の土を持って帰るのはなぜ?

ルーツや由来は?

いつから始まったの?

定着した理由は?

その疑問、解消します!

高校球児の甲子園の土に寄せる思い、

最初に甲子園の土を持ち帰ったのは誰か、

伝統となった出来事も含めて、

わかりやすくお伝えします。

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甲子園の土はなぜ持って帰るの?

連日熱戦が繰り広げられる夏の甲子園

野球ファンでなくても、地元の高校が
勝ち残っていると思わず見てしまうのが
夏の高校野球です。

負けたチームがベンチ前で泣きながら
甲子園のを素手で集める様子を見ると
スポーツニュースのダイジェスト版でも
ついもらい泣きしてしまうことも…

懸命に戦い抜いた球児たちがそれぞれ
スパイクケースやグラブケースに土を
入れる姿はぐっとくるものがあります。

球児は甲子園の土をなぜ持って帰る?

球児たちが甲子園の土を持ち帰る1番の理由は

「夏の高校野球に出場した」

という記念のためです。

高校球児にとっての憧れは甲子園。

その大舞台、夢見る舞台に立てたという
記念を、「何か形に残しておきたい」と
甲子園球場の土を持って帰るというのは
理解できますね。

通常、出場枠は各都道府県1校ずつ、

北海道は南北海道・北北海道の2校、
東京都は東東京・西東京の2校の合計49校です。

時間をかけて激戦の予選を勝ち抜き、
甲子園の大舞台で必勝を誓っての試合、

負けたとはいえ
甲子園球場の土を持っていることは
「一生の宝」とも言えます。

また、
敗れた側の球児たちが甲子園の土を
袋に入れて持ち帰るのは

母校のグラウンドにまくため」

という話も聞きます。

「再び甲子園に戻ろう!」

と、甲子園への熱い思いをこめて
甲子園球場の土と自分たちの練習場の
土と混ぜる。

春のセンバツで負けたときには
夏でリベンジを果たすために、

最後の夏の甲子園で負けたときには
後輩たちに思いを託すために。

そして、悔しさも覚えておいてもらうために。

甲子園の土が混じっているとなると
出場未経験の後輩たちも発奮、
良い刺激にもなりますね。

なかには砂を持ち帰らない球児もいます。

わたしの知人の息子さんもそうでしたが、

1年生や2年生だと、まだチャンスがあるので

「来年も必ず来る!」

という誓いの意味で、
あえて土は持ち帰らないと。

とはいっても、
土を持ち帰らないというのは
都道府県の頂点に立てるような
強豪校だからこそできることで
普通はなかなか出来ないですよね。

また、学校や指導者によっては方針で
試合に敗れても選手たちには
土を持ち帰らせないケースも過去にはありました。

ちなみに
敗戦側だから砂を持ち帰るわけではなく
優勝校も土を持ち帰るケースが多いようです。

思い出の甲子園の土、
まさにチーム一丸となった記念の
「一生の宝」ですね。

甲子園の土を持ち帰るルーツは?

最初に甲子園の土を持ち帰ったのは誰か?

これには諸説ありますが、
ルーツとされている3つの説をご紹介しますね。

  • 1937年(昭和12年)の夏の大会
  • 1946年(昭和21年)の夏の大会
  • 1949年(昭和24年)の夏の大会

1937年(昭和12年)の夏の大会

最初に甲子園の土を持ち帰った人物
として一番有名なのは、

のちに読売ジャイアンツの監督となった
熊本工業高校の川上哲治氏です。

1937年(昭和22年)の第23回夏の大会

熊本工業高校は決勝戦で敗れ、
準優勝に終わってしまいます。

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決勝戦の終了後、
熊本工業高校の投手だった川上選手は
着ていたユニフォームのポケットに
甲子園の土を入れて持ち帰り、
自校の練習場にまいたといいます。

のちに川上氏自身が、
土を持ち帰った理由を

甲子園ではない球場で、他の選手が
同じことをしているのを見たからだ、
と語っています。

1946年(昭和21年)の夏の大会

新聞で記録されている最も古い
土の持ち帰り事例としては第28回、
1946年(昭和21年)の夏の大会があります。

準決勝で敗れた東京高等師範附属中
(現・筑波大学附属中学校・高等学校)
佐々木迪夫監督が、

最上級生以外の選手達に

「来年また返しに来る」

という意味で、

選手それぞれに、各ポジションの土を
手ぬぐいに包んで持ち帰らせました。

1949年(昭和24年)の夏の大会

1949年(昭和24年)の第31回大会では
準々決勝で敗退した小倉北高校
(現小倉高校)の福島一雄投手

ホームベースの後方で足元の土を摘んで
ズボンの後ろポケットに入れ持ち帰りました。

本人は無意識の行動だったようで、
後日、大会役員からの励ましの手紙で
自分の行為に気づいたと言われています。

甲子園の土を持ち帰るのはいつから定着した?

甲子園の土を持ち帰るルーツと由来を
3つご紹介しましたが、

のちに、甲子園の土を持ち帰ることが
伝統となるきっかけとなった出来事があります。

1958年(昭和33年)の第40回夏の大会のこと。

沖縄の高校として、初めて甲子園に
出場した首里高校は1回戦で敗退、

首里高ナインは甲子園の土を袋に入れて
沖縄に持ち帰ることになりました。

ところが、
当時の沖縄はアメリカ領だったため、

持ち帰った甲子園の土が植物防疫法で
「外国の土」と見なされ、

アメリカの法律により『持ち込み不可』
という理由から、海に捨てられてしまいました。

選手にとっては大事な思い出の土。
米軍統治下の沖縄を象徴するような出来事で、
新聞でも大きく取り上げられました。

この出来事以降、
甲子園の土を持って帰るという風習が
広く知られ、定着していったと言われています。

甲子園の土を持って帰るのはなぜ?ルーツと由来 いつから定着したかもご紹介 まとめ

球児たちが甲子園の土を持ち帰る1番の理由は

「夏の高校野球に出場した」

という記念のためです。

他にも、

「母校のグラウンドにまくため」

という理由から土を持って帰るケースもあります。

甲子園の土を持ち帰る伝統のルーツは
諸説ありますが、以下の3つの大会が
由来となっているようです。

  • 1937年(昭和12年)の夏の大会
  • 1946年(昭和21年)の夏の大会
  • 1949年(昭和24年)の夏の大会

 
甲子園の土を持ち帰ることが
広く知られるようになったのは

1958年(昭和33年)第40回夏の大会で
当時アメリカの占領下だった沖縄の
首里高校のナインが

持ち帰ろうとした甲子園の土を
地元沖縄に持ち帰ることができなかった
という事件が報道されたことにあります。

高校野球の球児たちにとって甲子園は聖地。

試合に敗れた球児たちが、甲子園の土を
持ち帰るという伝統もまた、
甲子園の聖地としての価値を
より増幅させているのかもしれませんね。

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