「女心と秋の空」と「男心と秋の空」はどちらが正しい?
どんな意味があるの?
秋空に見立てられているのは何?
その疑問、解消します!
男と女で変わるニュアンスの違い、
ことわざの由来や歴史背景、
「女心」が使われるようになった時期も含めて、
わかりやすくお伝えします。
「女心と秋の空」と「男心と秋の空」はどちらが正しい?
夏が暑いのはわかるけど、さすがに暑すぎじゃないの…?
年々、夏の暑さが尋常じゃなくなってきていますが
どうにも身体がついていきません。
今年もまた秋の訪れが待ち遠しくてたまらない夏でした。
秋といえば、変わりやすい心のたとえとして、
「女心と秋の空(おんなごころとあきのそら)」
ということわざがあります。
『変わりやすい秋の空模様のように、女性の気持ちもコロコロ変わる』
といった意味合いで使われています。
実はこの「女心と秋の空」、
もともとは「男心と秋の空(おとこごころとあきのそら)」ということわざから派生したものです。
明治になるまでは、「男心と秋の空」が中心だったのです。
「男心と秋の空」のほうは、
『女性に対する男性の気持ちは秋の空模様のように変わりやすい』
という意味です。
男性の浮気心は秋の空のごとし。
まぁ、頷けるところもあります(笑)
源氏物語の光源氏などは「男心と秋の空」の典型ですし、周りでも恋人や夫の浮気で泣く女性もいっぱい見てきております。
室町時代の狂言、『墨塗(すみぬり)』には、
「男心と秋の空は一夜にして七度変わる」
という有名なセリフがあります。
地方の大名が仕事で京都に行き、在京中にお妾さんを作るという物語ですが、シチュエーションは現代にも通じるものがあります。
ある男性は、本命はマカオ在住の中国人女性なんだけど、遠距離で寂しいので、ここ日本にも彼女が一人。
その彼女がわたしの後輩です^^;
「男心と秋の空は一夜にして七度変わる」というのが定着した江戸時代、この言葉は、若い娘たちに男性を警戒するよう戒めたり、ふられた時の未練を断ち切るための慰めの言葉としても使われました。
後輩は、相手の男性にパートナーがいることを知っていて付き合っているので、
「男心と秋の空、そのうち、また別の好きな人を作るような男だよ」
と周囲にたしなめられています(が、お付き合いをやめる気配はナシ)。
好きだ嫌いだは他人にどうこうできるものではないんですよね。
というわけで、「女心と秋の空」と「男心と秋の空」はどちらも使います。
「男心と秋の空」は、恋愛に特化しているのに対して、「女心と秋の空」は恋愛も含めて生活全般で使います。
「出かけようかと思ったけど、やっぱやめるわ」
「女心と秋の空ね」
といったように暮らしの中でも使われます。
ちなみに、先述の室町時代の狂言『墨塗』には、
「男の心と河の瀬は一夜にかはる」
という表現もあります。
「男の心と川の瀬は一夜に変わる」
男(夫)の愛情の変わりやすいたとえです。
昔も今も男って・・・
と思いかねませんが、信頼に足る誠実な男性もいっぱいいます、います。
いますよね?
「女心と秋の空」のことわざはいつから使われてる?
室町時代に生まれ江戸時代には定着した「男心と秋の空」に対して、「女心と秋の空」は、明治時代ごろから広まり始めたようです。
明治期を代表する小説家、尾崎紅葉が明治25年に読売新聞に連載していた長編小説に『三人妻』というものがあります。
尾崎紅葉といえば小説『金色夜叉(こんじきやしゃ)』が広く知られており、熱海のサンビーチにある、主人公の貫一がお宮を蹴るシーンの像は、有名な観光名所の1つになっています。
で、話は『三人妻』です。
『三人妻』の主人公は、貧しい百姓の生まれから豪商になった葛城余五郎という男。
余五郎は商売で大儲けして大富豪になり、道楽に走ります。
道楽の中でも女遊びが楽しく、本妻のほかに、それぞれタイプの違う三人の美女を手に入れて・・・という物語。
この小説の中に、「男心と秋の空」ということわざが出てきて、そのくだりで
「欧羅巴(ヨーロッパ)の諺(ことわざ)に女心と冬日和(ふゆびより)といえり」
と続きます。
尾崎紅葉は「男心と秋の空」を説明するために、ヨーロッパのことわざを挙げたんですね。
これは、
「A woman‘s mind and winter wind change often.」
(女心と冬の風は頻繁に変わる)
というイギリスのことわざを指していると考えられています。
風が強くなったり弱くなったりと、変化しやすい冬の風を女心にたとえたものです。
ただ、ここでは「冬日和(=冬の風)」であって、秋の空ではありません。
他に秋の空を女心に見立てたものはないようなので、「欧羅巴(ヨーロッパ)の諺(ことわざ)に女心と冬日和といえり」とあてたと思われます。
明治時代までは、もともとの「男心と秋の空」ということわざが主流だったので、「女心と秋の空」はパロディー的なものだったかもしれません。
パロディーでいえば、江戸後期の俳人、あの小林一茶が、変わりやすい自分の心を秋の空にたとえて、
「はづかしやおれが心と秋の空」
と詠んでいます。
『秋の空模様のように移ろいやすい自分の心が恥ずかしい』
といった意味ですが、このことからも江戸時代には、「男心と秋の空」が定着していたことがわかります。
話は戻って「女心と秋の空」ですが、これは大正デモクラシー以降、一般的にも使われるようになっていきます。
大正デモクラシーで女性の地位が向上すると、恋愛の価値観も変わりました。
女性が素直に意思表示する風潮も受け入れられたのです。
浅草オペラで
「風の中の羽のようにいつも変わる女心」
と歌う『女心の歌』が大ヒットすると、この頃から「女心と秋の空」とも言われるようになりました。
《広辞苑・第六版》で「女心と秋の空」を引くと以下のようになっています。
男性に対する女性の心は、秋の空のように変わりやすいことのたとえ。
古くあった「男心と秋の空」の「男」を「女」に置き換えたもの。
意外なことに「女心と秋の空」が広辞苑に初めて掲載されたのは1998年。
わりと最近のことですね。
多くの辞書が「男心と秋の空」をメインにしており、「女心と秋の空」は載っていない辞書もあると聞きました。
秋の空が変わりやすい理由は?
「男心と秋の空」にしても「女心と秋の空」にしても、移ろいやすい心を秋の空に見立てたものですが、なぜ、秋の空は移ろいやすいのでしょうか。
秋の抜けるような青空を「秋晴れ」とい言ったり、「天高く馬肥ゆる秋」なんて言い方もしますよね。
◇ 「天高く馬肥ゆる秋」について詳しくはこちら。
・本当は怖い天高く馬肥ゆる秋の意味!由来の故事でわかる本来の使い方
高く澄んだ秋の空は、移動性高気圧の乾いた空気で、いつもより上空の雲までよく見えるからです。
夏の空は太平洋高気圧の影響で、湿った空気中の水蒸気に光が乱反射するため、秋の空に比べると白っぽく見えてしまいます。
秋は月が美しく見え、お月見にも最適な時季となりますが、低気圧と高気圧が日本の上空を交互に通るので、お天気が変わりやすいのもこの時季の特徴となります。
秋の空は気圧配置の関係で、晴れたり、曇ったり、雨になったりと、移ろいやすいのです。
女心と秋の空と男心と秋の空はどちらが正しい?変わりやすいのは何? まとめ
「女心と秋の空」と「男心と秋の空」は、どちらを使っても間違いではありません。
「女心と秋の空」は、
『変わりやすい秋の空模様のように、女性の気持ちもコロコロ変わる』
といった意味合いで使われています。
明治になるまでは、「男心と秋の空」が中心に使われていました。
「男心と秋の空」のほうは、
『女性に対する男性の気持ちは秋の空模様のように変わりやすい』
という意味です。
「男心と秋の空」は、恋愛に特化しているのに対して、「女心と秋の空」は恋愛も含めて生活全般で使います。
「女心と秋の空」は、大正デモクラシー以降、一般的にも使われるようになりました。
秋は、低気圧と高気圧が日本の上空を交互に通るので、お天気が変わりやすい時期。
「男心と秋の空」はいただけないですが、「女心と秋の空」は理解してほしいと思ったりするのは「男」と「女」の違いでしょうか^^
「女心と秋の空」と「男心と秋の空」は、男女が入れ替わるとニュアンスが変わるおもしろい言葉ですね。
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